2016年01月06日

古代ギリシアの科学哲学 ギリシアで知が発展した理由1

 ギリシア時代は、知の世界が大きく広がった時期でした。一つには、ギリシア文明が(男性にとっては)開かれた社会で、知力に優れた人が政治に加わることが出来たことが挙げられるでしょう。世界史上最も早く民主主義体制を整えたアテナイだけではありません。アテナイとはライバルだったスパルタも、2つの家系から王を出す仕組みだったためトップにはなれませんでしたが、長老会の他のメンバーを目指すことはできました。ポリスによって政治体制は大きく異なっていたのはありますが、自由民が政治に参加できる地域で弁論術が花開いたのは故無きことではありません。

 ソフィストと呼ばれる人々にしても、弁論術を教えることから論理的な正しさを追求していきました。論理は数学と親和性が高いので、数学が発展したのも当然でしょう。

 もう1つ、統一がなされずにポリスが乱立していたことも大きな要因です。様々なポリスがあるということは、また様々な主義思想を唱えるのに向いていました。あるポリスでは受け入れられない主義思想であっても、別のポリスに行けば採用される可能性があるのです。これは、同じくらいの時期に大小様々な国が割拠した中国(おおよそ春秋〜戦国時代に当たります)と近いのでしょう。この時期の中国でも、老子、孔子、墨子、筍子、韓非子、縦横家等の思想家、言論家が活躍しました。

 更にもう1つの背景には、奴隷制度があります。基本的な労働は奴隷が行っておりましたので、富裕層は生活のためにやらなければならないことがありません。勿論、テレビもなければ映画もない時代です。彼らが酒を飲んでは哲学談義に耽ったのも当然といえば当然でしょう。

 本ですら希少なものでした。まず、紙がありませんでした。

 紙が発明されたのはこれより後の紀元105年、中国の蔡倫によってです。と言っても、蔡倫はゼロから紙を作り上げたわけではありません。先行する技術や紙に近い素材を利用したとされていますので、安価に紙を作る方法を開発したというべきでしょう。宦官だった蔡倫は紙の発明以外にも能力を発揮したようで、常に皇帝に侍る中常侍と呼ばれる役職まで昇進します。三国志がお好きな方は、暗愚な霊帝の治世にあって絶大な権力を振るった十常侍がこの中常侍であったことをご存じかもしれません。

 蔡倫は後に権力闘争に巻き込まれる形で自殺に追いやられます。しかし、彼の成し遂げた功績を考えますと、永遠に記憶されておくに相応しい人物であろうと思います。

 紙の製造方法は、751年に唐とアッバース朝との間の紛争であるタラス河畔の戦いで唐が大敗し、製紙職人が捕虜となって中東に連れ去られたことで伝わったとされます。この頃の唐は、玄宗皇帝のもとで国力の絶頂期を迎えておりました。そのたった4年後に安禄山が叛乱を起こしたことで唐朝は力を失います。この際、タラス河畔の戦いで敗軍の将となった高仙芝は讒言にあって処刑されてしまいます。国の興亡のなんと急なことでしょう。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古代ギリシアの科学哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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