2020年09月13日

三国志 長安遷都1 董卓にとっての長安の意味合い 董卓は朝堂で長安遷都を諮るが、朱儁は反対する

 前漢が長安を、後漢が洛陽を首都にしたのはなぜだったのでしょうか。長安のある場所は関中と呼ばれる通り、山地に囲まれていて、数少ない街道には堅固な関所が設けられていましたから、守りに適しています。前漢成立時、東方には異姓の王国が林立していました。彼らはいつ反乱を起こすとも知れなかったので、守りの堅い長安が首都に適していました。

 しかし、後漢はどうでしょうか。前漢の時点で異姓の王はほぼ滅んでおり、後漢建国の功臣は王に封じられていません。後漢にとっては守りを固めるよりも、西に偏った長安から中央に近く交通路の交わる洛陽に首都を移すほうが利益が多かったのです。

 では、董卓はどうかと考えてみれば、東方の諸侯が背いて軍事衝突が始まっている状況ですと、四方に交通路が開けている洛陽は不利で、主要な交通路には全て関所があって守るに易い長安の方が遥かに魅力的だったのです。それだけではありません。『三国志: 正史と小説の狭間 (Panda_HISTORY) - 満田 剛』は、董卓や董卓軍の中核が西方は涼州、并州出身であることを記した上で、「長期戦を戦うにはこれらの州に近い超庵が本拠地として有利であったのである」と指摘しています。

 董卓はしばしば公卿を集めて会議を行い、洛陽を捨てて長安に移ろうと主張しました。ところが、朱儁はこれに反対します。

 朱儁は宿将であることから、董卓は朱儁を逐うことはできず、官位を留めたまま上辺は親しく付き合いましたが、心のなかでは朱儁を忌み嫌っていました。朱儁は出身が東方で、東方の諸侯とまず間違いなく近い存在だということも朱儁への警戒心を募らせたことでしょう。

 董卓は朱儁が楯突いたことを憎みましたが、その立場と影響力を考え、太僕に移して自分の副官として黙らせようとしました。


三国志: 正史と小説の狭間 (Panda_HISTORY) - 満田 剛
三国志: 正史と小説の狭間 (Panda_HISTORY) - 満田 剛


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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