2020年09月10日

三国志 反董卓連合軍の配置 反董卓連合軍は大別すると4つの軍に分けることができ、その勢力の忠臣は張邈のいた酸棗だった

 三国志演義ですと孔融や公孫瓚、陶謙らも反董卓連合軍に参加したことになっていますが、実際には彼らは参加していません。公孫瓚が参加していないということは、演義において公孫瓚と行動を共にしていた劉備たちも参加していません。

 また、これより後に張楊も加わります。張楊は并州に募兵に赴き、その後は同地に留まって賊を討伐したとのことですので、白波賊と戦っていたのかもしれません。その張楊は、匈奴単于の於夫羅を従えていたので、反董卓連合軍には外国勢力も協力したということになります。

 『実録三国志 - 于 濤, 鈴木 博』は反董卓連合軍が袁紹と王匡、それに後方支援の韓馥、張楊、於夫羅からなる西北集団、酸棗に進駐した劉岱、張邈、張超、橋瑁、袁遺、鮑信、曹操らの中部集団、孔伷と李旻の西南集団、そして魯陽に進駐した袁術と孫堅の南部集団の4集団に分けた上、彼らの配置をこう記します。

 西北集団の主力は、王匡の泰山〔現在の山東省泰安市を中心とする地域〕の兵で、先鋒がすでに河陽津〔現在の河南省孟津県〕に布陣し、黄河を隔てて洛陽を望み、最初に臨戦態勢に入った。 中部集団は、張超(張邈の弟)の広陵〔現在の江蘇省揚州市を中心とする地域〕の兵を除くと、その他はすべて兗州の兵であった。 西南集団は豫州の兵を中心とし、のちに孔伷の部隊が加わったが、李旻の部隊はのちに南部集団に併合された。 南部集団の主力は孫堅の長沙の兵で、きわめて強大な戦闘力を具えていた。


 彼らが酸棗に集まっていたことから、潁川にいた張邈が中心的な役割を果たしていたと見られます。党錮の禁の際に出仕できなくなった名士たちが、自分たちの階級付けをした際に、張邈の名前も見えますので、彼の人望も大きなものではありましたが、名目上の総帥は袁紹に、酸棗軍団の盟主は臧洪に譲ったことになるでしょう。

実録三国志 - 于 濤, 鈴木 博
実録三国志 - 于 濤, 鈴木 博



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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