2020年09月07日

三国志 反董卓連合軍 張邈や臧洪、曹操らが集まって、連合して董卓を討とうとする

 張邈は字を孟卓といい、若い頃から男伊達で知られていました。困っている者を救い、助けるためには家財を傾けても惜しまなかったので、多くの人びとが張邈を慕いました。党錮の禁の際に、宦官に迫害された知識人たちが互いの序列を付けた際、張邈は八廚にとして名前が挙げられています。党錮の禁が解除されると3公の府に召し出され、成績優秀だったことから陳留太守に栄転していました。

 その人脈の中に、袁紹と曹操がいました。

 張邈は部下の衛茲に兵を預け、曹操と行動を共にさせました。三国志武帝紀に引く『世語』では、「陳留の孝廉衛茲は、太祖に家財を提供して援助し、挙兵させた」とありますので、曹操の挙兵は衛茲にかなり多くを負っていたのでしょう。

 年が明けた190年の正月、東郡太守の橋瑁が3公の文書を偽造して各地に反董卓の檄文を送ります。それに応じた諸侯が軍をあげ、連合して董卓を討つこととなりました。これが、反董卓連合軍として知られる同盟です。 

 臧洪伝によれば、そのきっかけを作ったのは臧洪です。

 臧洪は字を子源といい、広陵出身で体格と風貌に優れた人物です。董卓が暴虐を縦にすると、臧洪は張邈の弟の張超に、「殿は代々天子の御恩をお受けし、ご兄弟揃って大郡を治めておられます。いま王室は危機に瀕し、賊臣の首は獄門にかけられておりません。今こそ天下の烈士は御恩に報い、命を捧げる時でございます。今、郡はまだ安泰で豊かですから、兵を招集すれば2万の軍勢を手に入れることができましょう。この軍勢で国賊を誅殺し、天下のために口火を切ることこそ正義と申せます」と進言しました。

 張超は臧洪が正しいと認め、共に兄張邈を訪れます。張邈はもともと董卓に対して反乱を起こすつもりがあったので、提案に乗ることを決めます。張邈は臧洪と話し合い、大変優れていると評価しています。劉岱や孔伷も臧洪と親しかったそうなので、一廉の人物だったのでしょう。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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