2020年09月06日

三国志 董卓の悪逆 名士を招聘して懐柔姿勢を示す一方で、略奪、強姦、殺人、虐殺などが好き放題に行われ、人心は失われる

 そして、董卓は郿侯に封じられ、皇帝に拝謁する際に名を言わず、小走りせずゆっくり歩き、帯剣して靴を履いたまま上殿する特権が与えられました。

 董卓が絶対の権力を握ったことをよく思わない袁術は南陽に出奔しました。

 12月にはその下の3公として、太尉に黄琬、司徒に楊彪、司空に荀爽を据えます。楊彪も荀爽も高名な一族出身の名士ですから、董卓の名士優遇策はまだ続いていたことになります。

 しかし、その一方で董卓の好き放題は変わりませんでした。後漢書董卓伝は「是の時、洛中の貴戚は室第相い望み、金帛財産、家家に殷(さか)んに積む。卓、縦(ほしいまま)に兵士を放ちて其の盧舎を突き、婦女を淫略し、資物を剽虜(ひょうりょ)し、之を捜牢と謂う。人の情崩れ恐れ、潮汐を保せず」と伝えます。つまり、略奪や女官の強姦が日々行われ、人々はその日を生きながらえることができるかすら不安になったというのですから、悪政もここに極まれりです。

 董卓の悪事を物語る逸話が後漢書と三国志に記されています。曰く、陽城に軍を送った際、祭りに興じていた人々に襲いかかり、男は斬らせ、婦女は車に載せて帰還したというのです。また、少し睨まれたほどの恨みに対しても必ず殺したそうですから、天下に恨みが満ちる状態でした。

 董卓の虐げられたのは宮廷の人士ばかりではありません。陽城に赴いた際、2月の祭りを楽しむ人びとを見ると、董卓は男子の頭部をことごとく切り落とし、女性や財宝を奪って洛陽に戻り、賊を攻撃して大量の捕獲品を得たと言いふらしました。奪われてきた女性たちは下女や妾として兵隊に与えられました。  

 これでは名士たちは尊重の姿勢を示されても董卓を支持などできません。

 12月、陳留に帰った曹操は張邈と共に兵を起こします。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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