2020年09月04日

三国志 呂伯奢一家殺害事件 曹操は呂伯奢の家族を殺したとあるが、異伝を見ると話の流れがぜんぜん違う 何が正しいのか

 『魏晋世語』 は裴松之が「記事は乏しく秩序もなく劣っているが、時に珍しい記事があるので、よく読まれている」(『三国志―演義から正史、そして史実へ (中公新書) - 渡邉 義浩』)と裴松之が記す、質の低いものです。

 また、東晋の330年ごろの『異同雑語』には、呂伯奢の家人が食事の準備をしていると、皿の鳴る音を聞いて自分を始末しようとしていると思い込み、夜の内に彼らを殺して逃げる。「私が人を裏切ることがあっても、他人に裏切らせるようなことはせぬ」と言った、と記します。ただ『異道雑語』もまた、史料を書き換えたり奇説を好んで採用するなどの問題を抱えているとのことです。

 陳寿は皇帝の認可を得るためにも迂闊なことなど書くわけに行きませんでしたが、裴松之は「疑わしい出典でも、こんな話があるよ」という質の低い伝説も書き残すことができたので、そこに両者の違いや民間でどのような話が語り継がれていたかを見て楽しむのが良いかと思います。

 三国志演義は更に、曹操が逃げる途中で呂伯奢と遭って一度は別れますが、家族が殺されたことを知った呂伯奢が通報するかもしれないと思い直して呂伯奢を追いかけて斬るという物語を追加しています。そして、曹操が「私が裏切ったとしても、他人に裏切らせるようなことはせぬ」と言ったのを聞いた陳宮は曹操に見切りを付けて曹操と袂を分かつことになります。そして、この時に陳宮が抱いた曹操への不満は、後の陳宮の行動に結びついていきます。こちらについては後に見ることになります。

 あるいは呂伯奢の家族を殺したことは事実かもしれませんが、だんだん話が詳しくなっていくのは不自然です。少なくとも詳しくなっていく部分は全てお話に過ぎないと言うべきでしょう。私達としては陳寿の本文に従うのが無難なようです

 9月、董卓は再び群臣を集めると、「何太后は永楽太后(霊帝の母の董皇后)を圧迫して憂いのうちに死なせた。嫁と姑の間の礼に反し、親に仕えるという道徳も持たぬ。天子は年相応の知能を持たず、柔弱で主君としての資格に欠ける。伊尹が主君を放逐し、霍光が王を廃したことは史書に記されており、誰もがこぞって褒めそやしている。陳留王は仁愛に満ち、孝行である。帝位につかれるのがふさわしい」と主張します。

三国志―演義から正史、そして史実へ (中公新書) - 渡邉 義浩
三国志―演義から正史、そして史実へ (中公新書) - 渡邉 義浩


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村