2020年09月03日

三国志 曹操逃亡 曹操は董卓政権は失敗に終わると判断して洛陽を脱する 故郷への途中、恩人の呂伯奢の一族を殺す事件が起こる

 それだけ袁一族の力が大きかったと考えるべきでしょう。実際、長安に残った袁一族はこの際に処刑されておりませんから。

 曹操もまた故郷の陳留へ向けて逃げ出します。董卓は曹操を驍騎校尉に任じて参謀にしようとしたのですが、曹操は董卓が成功することはないと考えていたのです。

 あるいは、曹操は袁紹と示し合わせて洛陽を脱出したのかもしれません。

 曹操は姓名を偽って虎牢関を脱出することはできたのですが、中牟県を通った際に亭長に怪しまれ、勾留されてしまいます。町の中にたまたま曹操を見分けることができる者がおり、そのものが頼み込んだことで曹操は逃れることができたと三国志武帝紀は記します。武帝紀に引く『世語』によると、気がついたのは功労を司る属官である功曹が曹操に気づきますが、世の中が乱れている中で早々のような俊傑を勾留することはよろしくないと考えて、曹操を釈放させたと記します。

 三国志演義は世語に基づいた上で、曹操を逃がすように取り計らった人物を陳宮だとしています。そして、陳宮は曹操を見込んで一緒に逃げたのでした。

 その逃亡中、三国志武帝紀に引く『魏書』や『魏晋世語』、『雑記』には旧知の呂伯奢の家族らを殺害した話が見えます(三国志の本文には見えません)。

 254年から256年、まだ魏が存在した時代に書かれた王沈の『魏書』は曹操は旧知の呂伯奢の家に立ち寄るが呂伯奢は留守で、その子どもたちは食客とともに曹操を脅かして持ち物を奪おうとしたので、曹操は自ら数人を撃ち殺した、と記しています。一方、すでに魏の滅んだ300年ごろに成立した『魏晋世語』によれば、呂伯奢が留守なのは同じなのですが、曹操は自分が殺されるのではないかと疑いを抱いて呂伯奢の家族たちを殺して立ち去ったとしています。

 魏に対する遠慮をしなくて良いためか、すでに『魏書』と『魏晋世語』で曹操の振る舞いに差が現れていますね。前者は自衛だったのですが、後者だと曹操の疑心暗鬼によるものです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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