2020年09月02日

三国志 盧植と袁紹の逃亡 董卓に反対した盧植と袁紹は董卓を止められず、後難を恐れて逃亡する 董卓は袁紹を渤海太守として懐柔を図る

私にはこのタイミングで劉氏を絶やして良いとまで董卓が言明したとは思えませんが……。

 また、盧植は朝堂において堂々と少帝劉辯廃立に反対しました。史書は朝堂で反対したのは盧植ただ1人だったと記します。とすると、袁紹の反対は朝堂のことではなく、もっと内々の話だったのかもしれません。

 盧植は「『尚書』を調べてみますと、殷王太甲は位についた後にでたらめであったために伊尹はこれを廃し、漢の昌邑王は即位して27日の内に千を超える罪を犯したために霍光が廃したのです。今生陛下は年もお若く、ご行為にも加湿はございません。伊尹や霍光とは比べるべくもありません」と反対します。

 董卓は怒って会議から退席し、盧植を処刑しようとしました。蔡?や議郎の彭伯が「盧尚書は国の大儒で、人望の的です。彼を害すと天下は恐れ震え上がるでしょう」と董卓を諌めたので、盧植は免職されるだけで済みました。

 盧植は年老いて病もあることから、密かに洛陽を出ていきます。董卓は盧植を追わせましたが、盧植に追いつくことはできず、盧植は故郷に帰りました。

 また、袁隗と相談することを名目に会議から退室した袁紹は「天下の強者はただ董公1人ではない」というと、節を洛陽城の門に懸けると冀州へ逃亡しました。

 董卓は激怒し、袁紹の首に懸賞金をかけました。侍中の周、城門校尉の伍瓊、鄭泰らは「廃立は天下の大事でありまして、常人の関与できることではございません。袁紹は恐れて出奔しただけで、他に遠謀があるわけではございません。今、彼に懸賞金をかけて追わせれば、追い詰められて反乱を起こすでしょう。袁氏は4世に渡って国家に功績を立ててきた家で、その恩義を受けた者はあちこちにおります。もし豪傑を集めて民を率いさせ、他の者が追随すれば、山東の支配は失われましょう。袁紹を許して1つの郡の太守にでも任命すれば、袁紹は罪を逃れられたことを喜び、後顧の憂いはなくなるでしょう」と袁紹のために董卓に進言しました。董卓はその言葉の正しさを認め、袁紹を渤海太守とし、侯に封じました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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