2020年05月26日

後漢 梁冀誅殺1 専横を極める梁冀への反撃のきっかけとなった梁皇后の死 桓帝は宦官に梁冀追い落としを相談する

 全国からの皇帝への貢納品はまず梁冀のもとへ届きますが、それに飽き足らず外国へ珍奇なものを求めさせました。道行く女性や御者を徴発し、それを見た部下たちは他人の妻女を奪い取ったり役人や兵士に暴行を加えたりと好き放題を行い、怨嗟の声が満ちていきました。

 なにせ、彼の持つ広大な土地のウサギを知らずに獲ってしまった者が出ると、連座して10人以上が殺されたり、数千人にも及ぶ一般人を捕まえてきては奴婢にしてしまったりしたというのですから、怨嗟の声が上がらない方が不思議です。

 151年、桓帝は梁冀には自分を天子にしてくれた恩があるとして、朝廷での小走りを免除し、剣を帯びて殿に上がり、謁見の際に名を名乗らなくても良いといった特権を与えます。その礼は蕭何になぞらえ、封土はケ禹に、金銭、奴婢などは霍光になぞらえました。前漢、後漢を通して最大の権限を手に入れたことになります。梁冀の放縦はますます著しくなり、何とかしようと桓帝に訴えでた袁著が殺され、正論を唱える胡武は家族ごと誅殺されました。梁統列伝は梁冀のこうした振る舞いが延々と書き連ねられているので、読むと実に憂鬱な気分にさせられます。

 159年、7月、梁皇后が世を去ります。

 梁皇后は梁冀の妹で、兄に似て驕慢な振る舞いが多かったそうです。皇后に迎えて最初のうちこそ桓帝は梁皇后を寵愛しましたが、後宮の他の女性が妊娠すると殺してしまう態度や、兄梁冀と結びついての狼藉に、桓帝の寵愛は失せていきました。

 梁冀に怯える桓帝にとって、梁皇后の死は梁冀追い落としの絶好の機会となったのです。

 ある日、桓帝は厠に立つと宦官の唐衡を呼び、梁一族を恨む者がいないか尋ねます。唐衡はいずれも宦官の単超、左悺、徐璜、具瑗の4人を推挙しました。彼らは梁冀誅殺に動くこと誓い、単超の肘を噛んで出た血で約束を記しました。

 一方の梁冀は宦官たちの動きに気が付き、中黄門の張ツを送り込みます。こうして、後宮は火薬庫の様相を呈するようになったのです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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