2020年05月17日

後漢 地震計献上 132年、張衡が地震計を献上する 地震が多発していたこともあり、地震計は重宝された

 張逵らは讒言が受け入れられなければ逆に自分たちが危ないと、曹騰たちを捕えてしまいます。ここでもし張逵の陰謀が成功すれば、後漢末の動乱は大きくその姿を変えることになったはずなのですが、曹騰らが危ないと聞いた皇帝は激怒して直ちに曹騰らを解放させ、張逵らは誅殺されました。

 梁商や曹騰排除を図った一味に対する取り調べは苛烈を極め、拷問によって次々と関係者の名前が挙げられます。梁商は連座する者の多いことを憂い、『春秋』を引いて皇帝を諌めました。帝はその正しさを認め、刑に服したのは座する者のみに留まりました。心優しくも、柔弱な梁商は外戚としては安全な人物であったでしょう。しかし、その一族に問題があることを、後に見ることとなります。

 梁妠が立后されたのと同じ132年7月、張衡が候風地動儀(地震計)を献じます。

 この時期、後漢では地震が頻発していました。順帝の時代に発生した地震の記録を抜き出してみましょう。

即位直前の125年11月丁巳(同日、江京らを誅殺しています)
128年春正月丙子、京師に地震あり、漢陽に地陥裂す
133年夏4月己亥、京師に地震あり
135年冬12月甲寅、京師に地震あり
137年夏4月丙申、京師に地震あり
  冬11月丁卯、京師に地震あり
138年春2月乙亥、京師および金城、隴西に地震あり、2郡で山崩れ、地陥る
  閏4月己酉、京師に地震あり
139年3月乙亥、京師に地震あり
140年春2月戊申、京師に地震あり143年涼州の地180たび震う

 地震のメカニズムなど知る由もない当時の人々にとって、繰り返し発生する地震はさぞ不安をかきたてるものだったのでしょう。地震をきっかけに反乱が起こることもあったそうです。

 また、農民に課せられた租税金は穀物で払うことも多かったので、地震による交通網の破壊はそのまま租税徴収ができなくなることに結びついていました。治安維持のためにも徴税のためにも、為政者にとっては地震の発生をいち早く知ることが重要だったのです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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