2020年05月08日

後漢 倭国帥升奉献 安定の朝廷へ倭国の王の帥升からの使者が訪れる 史書に名を留める最初の日本人の記録

 10月には倭国の王の帥升が奉献しています。時期から考えて安帝即位に対する挨拶なのでしょう。光武帝に奉献して金印を与えられたのは「奴国王」ですから、名前ではありません。ですので、帥升は外国の歴史書に名を残す最初の人物ということになります。海外からの奉献は後漢にとってめでたいことだったでしょうが、1年を通じて見れば、後漢には大変な年だったようです。郡国18に地震があり、41には水害が、28には風害が起こっています。また、倭国奉献の翌11月には司空の周章が安帝の廃立を図って免職されて自殺する事件が起こっています。

 古代中国では天変地異を政治の良し悪しと結びつけて考えていました。そのため、太尉の除防は罷免されています。3公が災異で免ぜられることはここからはじまるそうです。

 既に述べた通り、3公は既に形式的なものになっており、尚書を兼ねなければ実際の政治には関与できないようになっていました。何ら実権は無いのに、詰腹だけは切らされるとはなかなかに厄介な地位になってしまいましたね。

 108年正月には、前年の悪い雰囲気を踏襲するかのように、車騎将軍ケ隲が西方で羌族に敗北、4月には漢陽城中で火災が発生して3570人が焼死、5月には旱魃が起こっています。6月には今度は郡国40に大雨が降り、風害が出て、雹も降りました。10月には征西校尉任尚が先零羌と戦って敗北、11月には先零羌の王は天子を称し、長安のある三輔に侵入して漢中の太守を殺しています。

 109年、安帝は元服し、恩赦が行われました。正月には高句麗が使者を送って貢献しています。しかし、この年もまた後漢には苦しい年になります。3月には首都で飢饉が激しく。民は相喰んだと史書は記します。

 4月には国庫が足りないからと、売官が行われます。関内侯、虎賁羽林郎、五大夫などの地位が売られ、金を出したものがその地位につけるというわけです。国庫が厳しくなっている様が明らかですね。一方で貧民には皇帝所領の土地を開墾する許可を与えました。更に7月には種籾と食料を与えています。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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