2020年04月30日

後漢 外戚梁一族 97年に竇太后が亡くなると、和帝の実母で故人の梁貴人が再評価され、梁一族が外戚として台頭してくる

 当時のローマは、輝かしき五賢帝の時代でした。ネルウァの即位が96年、その前のドミティアヌスがウェスパシアヌスの子で、父ウェスパシアヌス、兄ティトゥスの後を継いで皇帝になっていることを考えれば、優れた者を選ぶというのはネルウァがトラヤヌスを養子とし、後継者にしたことを示していると分かります。

 残念ながら、後漢はローマの方法を知っても採用することはなく、皇帝が早死にしては幼帝が立てられ、外戚と宦官が権力握るようになっていきます。

 97年、竇太后が亡くなります。早速梁竦の甥(兄の子)の梁扈(りょうこ)は、漢は代々皇帝の実母を尊んでいるのに、和帝の実母である梁貴人は尊号を与えられていないと上書します。また、梁竦の3女のうち長女もまた、妹が和帝を生みながら竇憲兄弟の為に死に追いやられ、父の梁竦は獄死することになったと訴えました。

 こうした訴えは認められ、和帝の実母には恭徳皇后が追尊されました。梁一族の人びとには特進の位が与えられたことを始め、多くの下賜が贈られ、その栄華は極めて大きなものとなります。梁一族の重用がまた別の大きな問題を生み出す様を、少し後に見ることになるでしょう。
100年、班超は朝廷に帰任を請います。

 班超は久しく辺境に居続け、年老いていました。破格の功績を挙げ、家族を得たとはいえ、故郷への思いは募るばかりだったようです。

 「臣はこう聞いております。太公望は5世に渡って周に葬られ、狐は死ねば丘を向き、代のウマは風を向くと聞きます。周と斉は同じ中国の千里の距離でしか無いと言いますのに、まして遥か絶域にいる小臣が故郷を思うことがないわけがございません。また、蛮族の地では壮年は恐れられますが老人は侮られます。臣は歯も尽きようとしており、年衰えて命を失い、魂すら消え去ってしまうと恐れております。昔、蘇武は匈奴の土地にいること19年でした。今、臣は幸いにも節を奉じ、金銀を帯びて西域を護ることができております。もし前線で寿命を迎えても恨むことはございませんが、後世西域に没したと語られることを恐れております。酒泉郡にまで戻りたいとは申しません。せめて、生きて玉門関に入りたいと望んでおります」


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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