2020年04月27日

後漢 竇一族の腐敗 袁安らは竇一族の専権を批判する情緒を行うが、竇皇后は取り上げず、一族はますます驕り高ぶる 竇憲の再出撃と勝利

 また、竇一族の専権を憂いて袁安、任隗、9卿が上書します。袁安については楚王劉英謀反後の楚で見事な処置をし、河南尹に抜擢されたことを記しましたね。河南尹の在任中も厳正ながら裁判を多用しないというバランスの取れた政治を行い、9卿を経て3公の司空、次いで司徒を歴任するようになっていました。

 しかし、竇太后は上奏を取り上げませんでした。失脚させられなかっただけまだマシというものかもしれません。聞き入れられなかったことに恐れをなした9卿らは黙りましたが、袁安と任隗だけは国の資材を使い果たして功績を遥か辺境に求めるのは国家のためではないと何度も上書し、遂には冠を脱いでまで争いました。冠は仕事人の象徴のようなものですから、イメージとしては上着やネクタイを脱いでしまったようなものでしょうか。それでも結果は変わりませんでした。

 衛尉の竇篤や執金吾の竇景は道を遮って通行人からも財物を奪わせたというです。とても政府高官のやることとは思えません。

 竇景は各地から突騎や騎射の得意な者を屋敷に送らせて私兵としたので、役人も恐れて手を出せません。袁安は激しく批判し、竇景や竇景の命令に従った者たちを弾劾します。竇景は皇太后の庇護で守られましたが、阿諛追従の輩の多くが罪を問われ、職を追われました。その数、40人余りにもなったということです。

 竇一族は深く恨みましたが、袁安も任隗も素行が良かったためにつけこまれることがありませんでした。しばらくしてから袁安は竇氏の専横を案じながら亡くなりますが、その後、彼の一族は3公を何人も出す名族となっていき、後漢末の動乱の初期はその子孫が中心を占めることになります。

 90年、竇憲は再び出撃し、武威に駐屯します。そして北匈奴を攻撃、大勝します。北単于は逃走し、行方不明となりました。

 同年、月氏は副王の射に7万の兵を授け、班超を攻撃させます。

 月氏はかつて漢とともに車師国を攻撃して功績を認められていました。しかし、更に結びつきを強めるため公主を求めて珍宝や奇獣などを献じていましたが、班超はこれを拒否したことから、月氏は班超を恨むようになっていたのでした。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村