2020年04月26日

後漢 竇憲の勝利 誅殺を恐れた竇憲は匈奴を攻撃して大勝利を得、復権する 竇憲と兄弟は重職を占め、権力を壟断するようになる

 89年、竇憲は誅殺されるのを恐れて匈奴を撃って罪を贖いたいと願い出ます。たまたま、南匈奴が北匈奴を伐とうと兵を動かしたため、竇憲を車騎将軍に任じて北へ送りました。南匈奴と後漢の連合軍は北匈奴を大いに破り、北匈奴の単于は遁走しました。北匈奴の戦死者は1万3千に及び、ウマやウシ、ヒツジなどの家畜100万頭余りを捕える大勝利となりました。そして、国境を去ること3000里の燕然山に上り、石に功績を刻みました。

 なお、銘を作ったのは『漢書』編纂に活躍した班固です。その文章は『文選』に収められています。また、この銘の刻まれた碑文は現存することが確認されているということです。
班固は母が亡くなったため、喪に服すために官を辞していました。竇憲はこの班固を中護軍として匈奴討伐に向かっていたのでした。

 さて、竇憲は司馬を匈奴への使いに出したところ、匈奴内では大敗に動揺した人々が続々と降伏します。単于も後漢からの贈り物を受け入れ、漢軍が国境の塞に入ると、貢物を送り、弟を入侍させました。ただ、単于本人が来なかったことから、弟は匈奴に返されています。

 匈奴に対する大勝利により、竇憲は大将軍となります。

 大将軍は3公の下に置かれるもので、その設置は太尉が決定します。しかし、竇憲が外戚の権威に加えて大勝利を挙げた功臣として朝廷に臨むようになると、百官は竇憲に阿り、大将軍の地位を3公の上で太傅の下としました。

 合わせ、弟の竇篤は太尉、竇景と竇瓌は侍中、奉車、駙馬都尉に任じられました。

 光あるところには陰もあります。匈奴遠征には多額の資金が必要ですから、民には徴税がのしかかりました。ところが、竇憲の弟の竇篤、竇景は邸宅を建て、驕奢な振る舞いを続けます。

 民が苦しんでいる姿を見た尚書僕射の郅寿は、朝会で国庫が空だというのに戦争が続いていることを訴えます。竇憲は怒り、郅寿を別件で逮捕させます。郅寿は死罪こそ免れましたが、後顧を憂いて自ら命を絶ちました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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