2020年04月24日

後漢 和帝即位 班超は数にまさる莎車を巧みな作戦で打ち破る 88年、章帝が亡くなり10歳の和帝が即位、以後後漢の国力は衰えていく

 翌88年、班超は于闐を始めとする諸国から2万5000の兵を集めて莎車を攻撃します。亀茲王は左将軍に5万の兵を率いさせ、莎車へ援軍を送りました。班超は諸国の昇降や于?王を集め、「我が方は兵が少なく、対抗することは難しい。撤退するしか無いであろう。私もまた、西へ帰ろうと思う。夜になるのを待って出発しよう」と告げました。

 この時、敢えて捕虜の捕縛を緩めておいたため、逃げ出した捕虜は亀茲王へ班超らが撤退しようとしていることを伝えます。亀茲王は喜び、自ら万騎を率いて班超の退路を、温宿王は8000の騎兵を率いて于闐の退路を塞ぐべく、兵を動かしました。

 班超は敵が移動したことを知ると、明け方に軍を糾合して莎車の軍へ攻撃を仕掛けます。不意を突かれた莎車軍は驚き、潰走しました。班超は逃げる敵を撃って5000を斬り、ウマや財物を鹵獲しました。莎車軍が大敗したことを知った亀茲軍や温宿軍は撤退し、班超の威名は西域を震わせました。

 88年、章帝が33歳で亡くなり、10歳の皇太子劉肇が即位します。これが和帝です。

 後世から見れば、ここまでが後漢のピークでした。 成人した皇帝が皇太子として準備期間を経た上で即位していたことで、 外戚が巨大な権力を握ることはありませんでした。それには、章帝を支えた馬皇后の存在も大きかったでしょう。皇帝に淵源を持つ権力を、外戚や宦官が争うということは無かったのです。

 班超に見られる外国への遠征もありましたが、国を上げた全面戦争とは様相が異なっており、国力が削がれることはありませんでした。恤民政策が引き継がれ、特に章帝が儒教を大切にした通り、学校も作られ多くの者が教育を受けていました。

 章帝は祖父光武帝や父明帝路線を引き継ぎ、黄金時代の一角を担いましたが、外戚を重んじる方向に舵を切ったこと、本人が若くして世を去ってしまったことから、以後は外戚が勢力を拡大し、それを嫌った次代の皇帝が宦官の力を借りて外戚を滅ぼすという、後漢衰退への道を開いたのでもありました。


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posted by 仲井 智史 at 14:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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