2020年04月22日

後漢 外戚竇憲の排除 竇憲が公女からまで強引に土地を奪っていたことを知った章帝は激怒し、竇憲を免職する

 権力は腐敗するとの、権力を持つと驕りやすい人の弱い在り性質を上手く言い表した金言は、竇憲でもその正しさを示します。竇憲は明帝の娘の農園を廉価で奪い、公主は恐れて皇帝にも言えない有様でした。

 章帝がたまたま出駕して農園を通り過ぎた際、異常に気づいて竇憲にどうなっているのかと問います。もちろん、竇憲が答えられるはずもありません。章帝は「過去に過ちを犯した者どものことを深く考えよ。お前のやったことは趙高がシカを指してウマと言ったこととどう違うというのか。外戚となった陰氏とケ氏は常に監察しあい驕ることがないように務めたものだ。故に、外戚で罪を犯す者はいなかった。今、公主ですら田園を無理やり奪われるのだから、弱いものはもっと甚だしいであろう。国がお前を捨てるのは、親から離れた雛や腐ったネズミを捨てるくらい容易なのだぞ」と激怒しました。

 竇憲も皇后も謝り、竇憲は公主に田園を返しましたが、竇憲は役を免ぜられ、章帝は彼を再び重く用いることはありませんでした。

 80年、班超のもとへ援軍が到着します。

 これより前、莎車は後漢が援軍を出すことはないと考え、亀茲に降っていました。疏勒都尉の番辰もまた、後漢に叛いています。班超が孤立したことを受けて増援を決めたのは78年のことでしたから、班超は1年以上、寡兵で戦い続けたことになります。

 徐幹の率いる援軍を得た班超は、番辰を攻撃して首級1000以上を得、多くの捕虜(後漢書には生口と記されますので、奴隷かもしれません)を得ます。

 そして、いよいよ亀茲を攻撃しようと考え、烏孫と結んで亀茲を攻撃すべく中央に上書します。

 83年、班超を将兵長史(本来は将軍の部下に長史がつけられるが、将軍不在で長史の待遇を与える立場)とし、徐幹を軍司馬に任じます。そして、衛侯の李邑に烏孫の使者を護送させて錦や帛を届けさせようとしました。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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