2020年04月19日

後漢 西域諸国の服属 班超は鄯善で匈奴の使者を撃退して鄯善を服属させ、更に于窴国(ホータン)や疏勒(カシュガル)に向かう

 班超に率いられた兵士たちは北匈奴の使者が泊まっている野営地へ向かいます。そして、まず10人に太鼓をもたせて建物の後ろに潜ませ、「火が燃えているのをみたら太鼓を鳴らし、大声で叫べ」と命じます。そして、残った兵士たちには弩を準備させた上で、火を放ちました。その日は風が強く、火は風に煽られて勢いを増します。北匈奴の使者が驚き慌てたところを班超らは攻撃、30人余りを斬り、100人ほどを焼死させました。

 事後にそれを知った郭恂はこの巨大な功績が班超だけのものになるのかと顔色を変えましたが、班超は手柄を1人占めしないことを告げ、安心させました。班超の郭恂評が正しいなら、些事にこだわる小役人なのに手柄だけは求めるという小人物に見えますね。

 北匈奴の使者の首を見せられた鄯善王は後漢に服属することとなりました。

 顛末が中央に伝わると、明帝は喜び、班超を軍司馬に任じて引き続き西方での作戦を命じます。竇固はさすがに30人余りでは兵が少ないと、班超に多くの兵士を与えようとします。しかし、班超は「もとから従っている30人余りを率いれば事足ります。もし不測の事態が起こったら、人数が多ことは災となるかもしれません」と言って増援を断り、行動を続けました。

 班超は続いて于窴国(ホータン)王を降伏させ、冬には疏勒(カシュガル)に向かうと、亀茲(きじ)が傀儡として擁立していた亀茲人の王を捕えます。そして、亀茲に殺されてていた前疏勒王の甥にあたる忠を立てて疏勒王とするなど、天山南道の国々を後漢に服属させることに成功しました。周辺の国々を後漢が庇護したことで、交易路が復活しています。

 74年には奉車都尉竇固、駙馬都尉耿秉、騎都尉劉張らが敦煌や崑崙塞から出撃し、白山の匈奴を攻撃します。白山とは、夏まで山頂に雪が残ることから名付けられた山で、匈奴の人びとは天山といい、麓を通る際にはウマから降りて遥拝するという山です。後漢軍は匈奴を破り、車師国に至りました。そして、鄭吉を西域都護とし、また戊己校尉を復活させて西域経営に乗り出しました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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