2020年04月18日

後漢 班超の野心 役所の仕事中に張騫のような存在になりたいと言って笑われた班超が竇固の西域遠征に参加、35人の部下を率いて鄯善(楼蘭)へ

 班超は兄と共に歴史を学びました。父が死んだ後は家中で必死に働き、辛いことや惨めなことがあっても恥とはしませんでした。兄の班固が召されると、班超は母を連れて洛陽に赴きます。家は貧しかったので、役所で文書の書写で糊口を凌いでしました。しかし、心は兄とは全く別のことを望んでしたのです。

 ある時、班超は筆を投じて、「大丈夫たるもの、桜蘭王を刺殺して侯になった傅介子や西域張騫の倣って外地で功績を挙げて侯に封じられるべきだ。どうしていつまでも文書ばかりあつかっていられようか」と嘆き、周囲の者に笑われています。この逸話から分かる通り、班超は西域で功績を立てることを切望していたのです。

 一度、蘭台の令史となって文書を扱う仕事に就きますが、事件に連座して免官されます。そして、竇固が匈奴に出撃する際に仮司馬として採用されていたのでした。

 班超は35人の部下を率いて鄯善(楼蘭)に赴きます。鄯善の人びとは班超らを歓迎したのですが、途中で雰囲気が変わります。北匈奴の使者がやってきたと確信した班超は、班超の応対係となっていた?善の者に「匈奴の使者がきて数日経つが、彼らはどこにいるのであろうか」とかまをかけます。侍者は恐れ、全てを洗いざらい告白しました。

 鄯善が北匈奴と修好を望むのであれば、後漢の使者は邪魔者以外の何物でもありません。部下たちはこのまま殺されるのではないかと恐れ、怯えました。班超は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と言って部下を励まし、直ちに攻撃しようと言いますが、兵士たちは従事の郭恂と相談しようと主張します。班超は「吉凶は今日決するのである。従事は礼法やら習俗やらを守るしかできない小役人にすぎぬ。相談しても恐れて謀を漏らしてしまうだけだ、死後に名声を讃えられないような者は勇者ではない」と言うと、部下たちも納得しました。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村