2020年04月17日

後漢 漢書 班超の兄の班固、文を愛した章帝の許可を得て禁中の書も利用し、父の後をついで漢書をほぼ完成させる

 司馬遷が史記を著して以来、好事家が時たまその当時の歴史を編纂はしましたが、とても史記を継ぐようなものはできませんでした。班彪は前代の史書を紐解き、異聞を集め、それをまとめた上で得失を明らかにしました。賦、論、書、記、奏事合わせて9篇を編みましたが、志半ばにして52歳で世を去りました。54年のことです。

 班彪には班固、班超の2人の兄弟と娘の班昭の3人の子がいました。そのうち、父の文章への情熱を引き継いだのが班固です。

 班固は9歳で文をよく綴り、詩賦を諳んじ、成長すると多くの本を読みました。9流100家(道家、儒家、墨家、名家、法家、陰陽家、農家、雑家、縦横家)のことをよく知っていたというので、博覧強記だったのですね。それも、一章一句に拘泥するような読み方ではなく、大義を理解すれば良いという考えだったというので、私も師とするならこのような方が良いと思います。

 一方、弟の班超は文ではなく武で身を立てることを選びました。

 班固は父が死ぬと、故郷に帰って班彪が果たすことのできなかった歴史をまとめる仕事を成し遂げようとします。しかし、何者かが明帝に、「班固は国の歴史を改変しようとしております」と密告しました。班固は郡の獄に下され、家にあった本は押収されました。

 班超は兄が拷問に屈して偽りの罪を自白してしまうのではないかと恐れ、兄の真意を弁明しました。明帝は班固を許し、蘭台の令史に任命し、同僚と共に世祖本紀(光武帝劉秀の伝記)を編纂させることとしました。仕事ぶりが認められて郎となり、平林や新市で蜂起した人びとのことや公孫述のことなどをまとめて奏上したことで、明帝は班固が歴史を捻じ曲げようとしているわけではないことを知り、班固が班彪の仕事を継ぐことを認めました。

 班固が20年余りをかけて編纂したのが漢の高祖劉邦から王莽が滅びるまでを記した『漢書』です。

 章帝は文を好んだため、班固は禁中の書を読むことを許されました。日を連ね、夜を継いで書を読んだと伝えられます。我々活字中毒者の鑑とすべき人物です。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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