2020年04月15日

後漢 西域事情 新成立後の混乱を受けて西域は中国から離反し匈奴に組み込まれるも、後漢は成立直後には余裕がなく西域を放置していた

 祭肜、耿秉、来苗は功績が無いまま帰還したのですが、竇固は祁連山で呼衍王を破るという功績をあげます。

 竇固は竇融の甥でその後も昇進を重ねていくのですが、今見ておきたいのは、彼の遠征時の処置です。ただ、その前に西方事情を振り返っておきましょう。

 前漢の時代に、衛青、霍去病、張騫、李広利らの活躍で、西域諸国は漢に服属するようになっていました。新が前漢を簒奪すると、王莽の独りよがりな対応によって、西域諸国は離反しました。更に、東方で反乱が相次いで発生して新の力が急落すると、匈奴が西方に入り込みます。
漢に服属していた国々は、端的に言えば国力が弱いから庇護を求めていたわけです。弱体化した新に付き従う理由はありませんので、多くの国が匈奴に服属します。その中で、莎車国だけは匈奴に従いませんでした。

 匈奴は西域諸国が漢に服属していた間に匈奴へ貢献がなかった分まで取り立てようとしたため、西域諸国としては匈奴から離れたかったのですが、庇護してくれる国が無い以上は服属を続けるしかありませんでした。

 後漢が成立すると、莎車国王の賢は鄯善王の安と共に後漢に朝貢します。劉秀は莎車の王に西域都護の位を与えて懐柔していたのですが、敦煌太守の裴遵が「夷狄に大きな権限を与えるものではありません」と進言したことを受けて大将軍に格下げしてしまいます。それでもまた、後漢が軍事力をもって西域を保護していれば良かったかもしれませんが、国内を統一したばかりの後漢にはそのような余裕はなく、西域は放置されました。

 不満を抱いた莎車国は後漢から離反し、周辺の国を攻撃、攻撃された国々は匈奴と結んで莎車と対抗するようになりました。その後、于闐国が強力になり、莎車を滅ぼすと、周辺の13国を服属させるようになっていました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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