2020年03月25日

後漢 雲台28将4 光武帝劉秀の天下統一を助けた28将 その4 傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植

序列名前特記事項
21傅俊積弩将軍、昆陽侯。潁川出身。劉秀が襄城を攻めた際に迎え入れるが、この際に母や弟は襄城の人々に殺された。昆陽の戦いなどの後、一度喪に服し、劉秀の河北遠征の際に邯鄲で合流。劉秀が即位すると侍中となり、秦豊討伐や揚州平定に従事。31年に死去。
22堅鐔左曹、合肥侯。潁川出身。新で下級役人となる。劉秀の河北平定時に推挙され、実務能力を買われて事務を受け持つ他、農民反乱集団の鎮圧にも活躍。洛陽の朱鮪攻撃、南陽平定にも加わる。ケ奉討伐の際には敵中に孤立するも、野草を食べて飢えを凌ぎ、1年間耐えたこともある。
23王覇上谷太守、淮陵侯。潁川出身。新では獄卒(刑務所の役人)。劉秀が潁陽に至った際に賓客と共に参加。昆陽の戦いを戦い抜く。その後は郷里に帰るが、再び劉秀が潁陽に来ると参加して河北での戦いに参加、多くの者が劉秀の下を去る中、最後まで留まり続けて劉秀から「疾風に勁草を知る」と言われている。王朗を斬ったのは王覇。馬武と共に劉永の子の劉紆を討伐、その後は盧芳や匈奴対応で20年余りを安定で過ごす。
24任光信都太守、阿陵侯。南陽出身。昆陽の戦いで劉秀と共に新軍を破る。劉玄から信都太守に任じられ、劉秀が河北にやってくると劉秀を迎え入れ、王朗に勝利するきっかけを作った。29年冬、死去。
25李忠豫章太守、中水侯。現在の山東省にあたる東莱郡出身。前漢末に高密国の郎となり、新では信都郡の尉となる。任光らと共に劉秀を迎え、鉅鹿での戦いなどに参加する。30年からは丹陽の太守となり、領域内の安定化に努め、墾田を拡大し、多くの流民を定住させた。
26萬脩右将軍、槐里侯。扶風茂陵県出身。劉玄に信都郡の令に任じられ、任光らとともに劉秀の下へ。河北平定、朱鮪の籠る洛陽攻撃などに参加。南陽の平定の途上、宛で孤立し、病没。
27邳彤太常、霊寿侯。信都郡出身。新では和成郡の太守だった。劉秀が河北に至ると下曲陽で迎え、帰順する。河北での不利な状況に、一度長安に帰ったらどうかとの提案が行われた際、戻っては河北は失われ、長安は動揺し、威厳も損なうと反対、劉秀に河北に留まることを決意させる。信都と共に王朗に付かずに節を通した。大司空代行をはじめ、太常、少府などを歴任。30年に死去。
28劉植驍騎将軍、昌城侯。鉅鹿出身。王朗が河北で挙兵した際、薊から逃れてきた劉秀を迎え入れる。真定王劉揚を引き入れることに成功、河北平定への大きな転換点を作り出した。26年、賊との戦いの中で戦死した。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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