2020年03月23日

後漢 雲台28将2 光武帝劉秀の天下統一を助けた28将 その2 朱祜、祭遵、景丹、蓋延、銚期、耿純

序列名前特記事項
8朱祜建義大将軍、鬲侯。安帝の諱を避けるため、朱祐とされることもある。南陽の宛出身。幼くして父が死んだため、劉氏に育てられたことで劉縯・劉秀兄弟と早い時期から親しんだ。河北の戦いや秦豊攻撃などに参加。儒教を尊び、戦の時には城や邑を得ることを優先して首を得ることには熱心ではなかった。
9祭遵征虜将軍、潁陽侯。潁川の貧しい家に生まれ、経書を好んだ。昆陽の戦いの後、何度か面談した劉秀に気に入られ、幕下に加えられる。河北転戦時に劉秀一族の子が法を犯したため殴り殺している。劉秀は許し、軍の監察を司らせた。彭寵討伐、隴西の隗囂攻撃などに参加。33年に陣没。
10景丹驃騎大将軍、櫟陽侯。馮翊櫟陽県出身。新で上谷郡の次官となる。23年に耿弇の父耿況と共に劉秀に降り、河北平定に功績を上げる。26年、反乱軍との戦いの中、病没する。
11蓋延虎牙大将軍、安平侯。漁陽郡出身。8尺(184cm)の巨漢で怪力の持ち主。河北で王朗が叛くと、呉漢と共に謀って漁陽を劉秀に味方させる。河北を転戦、後には南方作戦に従事。来歙の指揮下で蜀を攻撃するが、来歙が暗殺されたこともあり、勝てないまま病を得て帰国している。しばしば敵中に深入りし、劉秀に叱責されている。
12銚期衛尉、安成侯。潁川郡出身。8尺2寸(190cm)の巨漢。馮異に推挙される。ケ禹の属官として河北を転戦、銅馬集団を降伏させるなど、農民反乱集団の鎮圧に従事。その後は河北を鎮撫し、劉秀即位後は衛尉となった。信義に厚く、略奪を許さず、君主を敬愛しながらも直諌した。34年没。
13耿純東郡太守、東光侯。鉅鹿出身。父は定陶の太守で、新が滅びると劉玄の下に加わる。劉秀の河北遠征の際に謁見し、劉秀の軍が規律正しいことを見て従うことを決める。河北で苦しむ劉秀に合流。鉅鹿を抜けない時に、直接邯鄲を衝くことを進言する。その後は農民反乱集団の鎮圧に活躍。即位を肯んじない劉秀を説得したのはこの耿純。民に慕われた。37年没。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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