2020年03月21日

後漢 成都略奪 勝利に酔った兵士たちは成都場内になだれ込み、略奪や放火、殺人を繰り広げる 劉秀は怒り、呉漢を叱責

 勝利に酔った漢の兵士たちは成都城内に雪崩込み、略奪、放火、殺人など乱暴狼藉を繰り広げたのです。戦闘終結後の暴力の発露により、城内だけで1万人以上が殺されたと伝えられます。

 成都の惨状を聞いた劉秀は怒り、呉漢を譴責するとともに副将の劉尚に対して「城は降って役人は服し、幼児や老母の人口は万をもって数えるというのに、兵を放ち、火を縦(はな)ったと聞く。これを聞き、痛ましく、涙がでるほど痛ましい。劉尚よ、お前は宗室の子孫で、かつては役人も経たと言うに、なぜこんなことを行わせたのか。多くの将を斬り、人を憐れむ義を失ってしまった」との非難の手紙を送っています。

 この暴行を蜀の人々は許すことができず、やがて42年2月に反乱を起こすことにつながっていきます。

 隗囂も公孫述も、才幹という点では優れた人物だったようですが、不利になっても降伏しなかったためにこのような結末を迎えることになりました。才能の浪費は嘆かわしいものですが、男子一代の野心に身を焦がす者としては正しいあり方なのかも知れません。

 盧芳のことは残っているとしても、それは最早辺境の些事に過ぎず、統一は完成したと言って良いでしょう。

 37年4月に呉漢らが蜀から戻ったことを受け、論功行賞が行われます。増封された者365名、外戚で封じられた者45名になりました。また、戦乱は止んだことから、左将軍、右将軍を廃止しています。特筆すべきことに、建国の功臣の多くが朝廷の重役を与えられませんでした。これもまた、劉秀の優れたバランス感覚を示すものと言えるでしょう。

 後に明帝は洛陽南宮の雲台に建国に功績のあった28人の肖像画を描かせます。このことから、彼らを雲台28将と呼び習わします。折角の機会ですので、彼らについてまとめておきます。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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