2020年03月20日

後漢 公孫述の死 劉秀は降伏勧告を送るが公孫述は拒否、「虜は城下に死ぬ」との占いを信じて城下に戦い戦死する

 劉秀は公孫述に書簡を送り、「今、自ら降伏すれば家族を含め罪に問うことはしない。来歙、岑彭のことがあったからといって、疑うことのないように。もし迷い、従わないのであれば、飢えたトラの前に肉を差し出すのと同様、命はない。兵士は疲れ、故郷に帰りたがっている。詔書を何度も送ることはしない。嘘は言わぬ」と最後通牒を突きつけます。

 公孫述はしかし、降伏を肯んじようとはしませんでした。

 9月、漢の軍勢は成都に押し寄せます。公孫述は延岑に、「どうすればよいか」と問います。延岑は「男児たるもの、まさに死中にあっても生きる道を探すべきでしょう(男兒當死中求生)。ただただ座して困窮しているものではありません。財物など、得るのは簡単です。惜しんではなりません」と応えました。

 公孫述は財を散じて決死の兵士5000を集めます。そして、延岑に呉漢を攻撃させると見せかけて背後から奇襲を仕掛け、呉漢を散々に破りました。

 11月、今度は臧宮の軍が成都に現れました。公孫述が占いをさせたところ、「虜は城下に死ぬ」と出ました。虜とは漢軍を指すと考えた公孫述は喜び、延岑に城を任せると自ら数万の兵を率いて漢軍を攻撃します。朝から正午までに3度戦い、3度勝利を得る、という獅子奮迅の働きでした。

 しかし、多勢に無勢、食事をとる暇もない成家軍は疲弊します。漢軍が勇敢な兵士を募って突撃させた結果、公孫述の軍は乱れ、公孫述も胸を刺されて落馬しました。

 公孫述は延岑に兵を預け、城内に入りました。漢軍もまた、成都城内への侵入に成功します。城内でも戦いは続きましたが、後はもう時間の問題でした。同日夜、公孫述は胸を刺された傷がもとで死にます。「虜は城下に死ぬ」との予言は、こうしてみると公孫述のことだったのでしょう。

 翌日、延岑は呉漢に降りました。

 漢軍は公孫述の妻子やその一族を誅殺しました。また、この時に延岑も一族を滅ぼされています。降伏勧告を受け入れなかったことは随分と高く付きましたね。

 しかし、戦いの最も凄惨なシーンはまだ終わっていませんでした。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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