2020年03月12日

後漢 隴西との全面戦争 公孫述が南郡に侵入したことを受けて劉秀は蜀攻撃を図ったが、隗囂は自分への攻撃と思い、両国は戦争に突入する

 そこで、竇融は兄弟たちに「天下は未だどう転ぶか分かったものではない。この河西の地は豊かで、河があるため守りやすい。張掖の精兵は万を数え、ことが起これば河の渡しを破壊すれば敵は責められない。この場所こそ、一族安住の地であろう」と言い、皆を納得させました。竇融は河西にでることを願い、張掖属国の都尉に任じられました。

 西域では異民族との戦いに活躍します。なお、同じ郡出身で西域で共に活動していた中に、梁統がいます。梁統についてはまた後に眺めることになりますが、後の歴史を知る者には、歴史の妙があることを感じさせるでしょう。

 劉秀の即位を聞いた竇融はその幕下に加わりたいと望みますが、河西から河北は遠く、果たせずにいるうちに隗囂が劉玄から離れて独立し、河西は隗囂の下に付きます。竇融もまた、不本意ながらも隗囂に従ことになりました。

 29年、遂に機会を得た竇融は劉秀に書簡を送って帰順を申し出ます。

 劉秀はかねてから河西が豊かで、隴西や蜀に通じていると聞いていたため、趨勢を決する人物がやってきたと歓迎します。竇融の知識は、漢軍の隴西、蜀攻撃を大きく救けることになります。

 30年、公孫述が南郡に侵入します。劉秀は改めて隗囂に公孫述を攻撃するように要請しました。しかし、隗囂は蜀への入り口を扼す白関は堅固で桟道は破壊されていると理由をつけて拒否しました。

 そこで、劉秀は自ら長安へ進出し、建威大将軍の耿弇ら7将軍を蜀に派遣しようとしました。しかし、この動きを自分への攻撃と思い込んだ隗囂は道を塞ぐと、璽書を携えて諭そうとした来歙を殺そうとします。全く同じような展開を、三国時代を扱うところで見ることになるでしょう。

 来歙はなんとか逃げ帰り、ここに劉秀と隗囂は全面戦争に突入したのでした。

 まず劉秀麾下の将軍たちは隴西に入って隗囂を攻撃しますが、天険に拠る隗囂は強く、いずれも敗北して退きます。今度は隗囂が関中へ攻め入りますが、今度は馮異らが隗囂の軍を打ち破りました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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