2020年03月08日

後漢 馬援と劉秀 劉秀は馬援と謁見する場に劉秀は頭巾を付けただけの姿で現れ、馬援と穏やかながら度量に満ちた態度で接する

 新が滅ぶと、馬援は隗囂の下につきました。そして、隗囂から公孫述と劉秀の様子を伺うように命じられたのでした。

 馬援と公孫述は同郷で、旧知の間柄でした。その馬援を、公孫述はもったいぶった儀式の後に皇帝として迎えたことで、馬援は失望し、帰国後に「公孫述は井の中の蛙である」と評して劉秀に味方することを説きます。

 この馬援が、劉秀のところへやってきました。劉秀は頭巾を被っただけの姿で馬援に会うと、笑いながら「君は2人の皇帝の間を行き来しているので、他人は君の姿を恥ずかしいと思うのではないか?」と問いました。馬援は、「今の世は、君主が臣下を選ぶだけではなく、臣下もまた主君を選んで仕えるのです」と切り替えしました。

 馬援は続けて、「私と公孫述は同郷で、幼馴染でした。しかし、私が蜀を訪れると、衛兵を挟んで対面してからようやく謁見が叶いました。今、陛下はなぜ遠くからやってきた私を刺客とお考えにならず、気軽にお会いになられるのですか?」と聞き返しました。劉秀はやはり笑いながら、「君は刺客などではなく、説客だと思っていた」と答えました。

 「天下を争う者は数え切れません。陛下を拝見するに度量が広く、高祖(劉邦)と同じ長所をお持ちですから、自ずと真の帝王でいらっしゃると分かります」と馬援が言ったため、劉秀は馬援をいたく気に入り、待詔という名目だけの官爵を与えて好意を示し、彼が帰国する際には来歙に見送りに派遣するほどでした。

 ここで名前の出てきた来歙は、劉一族と姻戚だったため、王莽により獄に入れられていたのを救い出され、妹を娶っていた漢中王劉嘉に仕えていました。劉嘉がケ禹に降ったのは、この来歙の助言があったからでした。その後、劉嘉の勧めによって来歙は劉秀の部下となっていました。来歙はこの後、隗囂の信用も得て何度も隴西を往復したり、隴西、蜀方面の攻略に参加していくことになります。

 さて、隗囂は帰国した馬援に東方の情報を尋ねます。馬援は、劉秀が何人も引見して意見を聞くこと、才能と勇気を併せ持ち、学問に広く通じて政治を理解している、などと褒めちぎりました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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