2020年03月04日

後漢 耿弇の臨淄攻略 耿弇は攻めやすいと見た臨淄を更に油断させ、急襲することでわずか反日で陥落させる

 この際、敢えて包囲の一角を開けておくことで、あえて敵兵を逃します。兵法に、包囲された敵は命を賭して戦うようになるので一箇所は包囲を開けておくように、とあることを忠実になぞった作戦ですね。鍾城の人々は祝阿がたちどころに落とされたことを知って恐れ、城を空にして逃げ出しました。

 歴止を守る費邑は弟の費敢を派遣して巨里を守らせます。耿弇は巨里に至ると、周囲の木を切り倒し、堀を埋めてやると広言します。費邑は巨里を救けるべく兵を発しました。それを知った耿弇は、「速やかに攻城兵器を整えよ。3日後に攻撃をしかけ、必ずや城を抜くぞ」と言い渡します。この際、捕虜を縛る縄を緩くし、逃げ帰る者を出します。そして、彼らの口から、攻撃計画が伝わることになったのです。

 費邑は耿弇が城を攻撃する3日後に不意打ちしようと軍を進めました。

 ところが、これこそが耿弇の策略だったのです。「攻城兵器を整えさせたのは、費邑を誘き寄せるためである。今到来したというのは、こちらの望み通りだ」というと、3000の別働隊に巨里を囲ませておいて、自らは精鋭を率いて山に潜み、費邑が近づいたところで駆け下って勝利を得、費邑を斬ったのです。

 費邑の首を示された巨里の人々は恐れ、費敢はなんとか逃げ出して張歩のもとへ逃げ帰りました。

 張歩は弟の張藍に2万を預けて西安を守らせ、また臨淄には太守が数万の兵で立てこもりました。耿弇は両城の間に来て観察した所、西安は城は小さいながら守りは固く、逆に臨淄は大きいけれど攻めやすいと見ます。そして、部下を集めて「5日後に西安を攻める」と告げました。この情報はスパイを通じて斉側にも伝わります。西安は朝から夜まで守りを固めました。

 そして5日め、耿弇は夜半に兵士たちに食事を取らせて新発すると、明け方には臨淄に至りました。部下は「予定通り、早く西安を攻めましょう!」と言いましたが、耿弇は「そうではない。西安は我々の攻撃を受けると聞いて日夜備えている。臨淄は備えていないので、我々が突然現れて混乱させれば1日で臨淄を落とすことができよう。臨淄が落ちれば西安は孤立し、逃げ去るであろう。逆に西安を攻めてすぐに攻略できず、西安に張り付いてしまえば死傷者は多く、仮に抜いても西安から逃げた敵は臨?の敵と合流してこちらの隙を窺うことになるだろう。補給の無い我々は数日のうちに苦しむことになる」と言うと、そのまま臨淄を攻めてわずか半日で城を抜きました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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