2020年02月24日

後漢 洛陽攻防戦 洛陽を守るのは劉秀にとって兄劉縯の仇に当たる朱鮪と李軼 劉秀は李軼の離反を語る書簡を公開し、朱鮪に李鉄を殺させる

 劉玄は怒り、大司馬を三分割し、朱鮪を大司馬から左大司馬へ降格しました。その後、朱鮪は李軼らと共に30万の兵を率いて洛陽を守っていましたが、長安が騒がしくなると、劉玄の指示に従わなくなっていきます。

 洛陽を攻撃している劉秀の部将の馮異は李軼へ離反工作を仕掛けます。

 李軼は劉秀が旗揚げした時から付き従い、昆陽の戦いでは劉秀と共に夜間に包囲を脱した13騎の中の1人というように、劉秀の部下として活躍していました。ところが、劉玄が皇帝となると、劉縯劉秀兄弟から離れて劉玄に接近するようになります。劉縯が誅殺される前、劉秀は李軼を警戒するように劉縯に伝えましたが、劉縯は警告を無視しました。李軼は結局、劉縯とその部将の劉稷誅殺のきっかけを作ったのです。

 劉秀はこの恨みを忘れてはいませんでした。そこで、敢えて李軼が洛陽の守備から離反することを記した手紙を公開してしまいます。朱鮪は劉秀の思惑通りに李軼を殺害しました。主将を殺害された李軼の兵は朱鮪を捨て、劉秀に降伏します。

 それでも朱鮪は洛陽を守り続けました。洛陽攻防戦の結末を追う前に、長安事情を見ることとしましょう。

 劉秀即位は、長安の人々にも少なからぬ動揺をもたらしたようです。右将軍の隗囂は、劉玄に政治を国三老の劉良に任せるべきだと進言します。劉玄は酒色に溺れ、派遣した軍はあるいは敗れ、あるいは独立の動きを見せていたのですから、当然の進言だったのでしょう。しかし、それを受け入れるような劉玄ではありません。

 そうこうしているうちに、衛尉の張卬らが長安を捨てて南陽へ戻ろうと具申します。緑林の一員だった張卬は都の暮らしを失っても、元の生活に戻れば良いと考えていたのです。

 進言が却下されると、張卬ら緑林系のリーダーたちは隗囂を誘って劉玄に背く計画を立てます。しかし、この計画は劉玄の知るところとなり、劉玄は緑林系の一味を呼び寄せて誅殺を計画し、まずは隗囂の屋敷を執金吾(秦、漢初の中尉が改称されたもので、北軍を率いて京城の警備を司る役職です)ケ曄に襲わせました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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