2020年02月22日

後漢 光武帝即位 各地で天子を自称する者が現れ、諸将は即位を勧める 最終的に、讖緯に基づいて劉秀は即位(後に光武帝として知られる皇帝)

 少々先走りました。26年に戻りましょう。

 各地で天子を名乗って自立する動きが出ていることを受けて、諸将は劉秀に即位を勧めます。しかし、劉秀は認めませんでした。
状況を変えたのは、讖緯です。

 関中から彊華という儒者が『赤伏符』なる符命を携えてやってきます。そこには「劉秀が兵を発して不道を捕えれば、四夷は雲集し、龍は野で闘う。四七の際に火は主となれ」と書かれていました。

 四七とは4×7で28を示し、この年が漢成立から228年目に当たることから、「今年」を意味しています。火とは、漢が火徳とされたことを受けてのものですから、「火は主となれ」とは漢を復興させよ、ということです。つまり、劉秀に漢の天下を取り戻せ、との符命なのですね。

 諸将は再び即位を説きます。王莽が符命を利用して簒奪したところでみた通り、符命には天の意志があるとされていました。

 劉秀は即位を決断します。6月、小高い祭壇を作ると、犠牲を焼いて天を祀りました。また、他の神も礼拝し、天が劉秀に命をくだしたため、即位すると宣言しました。

 その際、劉秀は自分の功績として、王莽が簒奪したことに対して兵を興して昆陽で勝利し、王朗と銅馬集団を河北で誅し、天下を平定して海内は恩を蒙った。上は天地の心にあたり、下は庶民の帰るところとなったと言っています。

 新たな皇帝が即位することを天地に報告する儀式については、王朝が続いている場合については漢で何度も行われてきました。しかし、新しい王朝が立った場合必要とされる告代祭天(こくだいさいてん)の儀式はまた別のものす。

 告代祭天は、平帝の時期に定められたものです。平帝期と言えば、かの王莽が大司馬として実権を握っていた時期でしたね。当然、この儀式の詳細を定めたのは王莽になるのです。皮肉なことに王莽の定めた礼により王莽を滅ぼした勢力の者が即位したことになります。

 劉秀はこうして即位し、元号を建武と改めました。これが後世から光武帝と呼ばれる皇帝です。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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