2020年02月05日

後漢 更始帝即位 緑林の徒は新と対抗するために皇帝を立てることにし、議論の結果劉玄が即位する

 大組織となった彼らが必要としたのは、しっかりとした組織です。繰り返しになりますが、この反乱軍は食い詰めた悪少年が起こしたようなものではありません。大土地所有者の皇族をリーダーに据えた反乱軍です。当然、無秩序にあるところから奪う方式は彼ら自身の利益と背反するのです。

 新組織は、新に代わりうるものとする必要があります。では、新に取って代わる存在であることを最も簡単に示すことと言えば何でしょうか?それは、新とは別の皇帝を戴くことです。

 「天に二日無く、地に二王無し」と言います。これは2番目に王を名乗る者は先に王を名乗った者に挑戦しているため、どちらかが倒れるまで戦いが止むことはないことを表しているわけです。

 問題は、誰が皇帝となるか、です。南陽の諸豪族と下江の指導者たちは劉縯を、新市や平林の指導者は劉玄を推します。

 議論は平行線を辿ります。ただ、ここで喧嘩別れしてしまえば、反乱軍の勢力が弱まることになってしまいます。劉?は「赤眉も既に皇帝を立てているだろうから、今は王を立てるに留め、赤眉の立てた者が賢者なら服属し、そうではないなら王莽を破ってから皇帝を立てても遅くはあるまい」と主張し、棚上げを提案しました。

 一旦はこの案が受け入れられそうになったのですが、新市のリーダーの1人張卬(ちょうぎょう)が剣を抜き、地面を斬りつけながら「このような会議は2度もやるようなことではない」と、結論を出すことを求めたため、結論を出すことが決まります。

 最終的には、劉縯が即位すると緑林の徒の影響が弱まることを恐れた緑林軍の推す劉玄に対し、劉縯が身を引いたことで劉玄が皇帝となり、元号を更始と定めます。これが更始帝です。

 更始帝政権の顔ぶれを見ておきましょう。南陽劉氏の長老、劉良が国三老となり、新市の指導者王匡が定国上公、王鳳は成国大公となりました。そして三公は、大司馬が朱鮪(しゅい)、大司徒に劉縯、そして平林の指導者陳牧が大司空です。反乱を率いて来た人々は列侯に封じられました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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