2020年02月04日

後漢 劉縯の反乱 豪傑タイプの劉縯が反乱を起こそうとしても周囲は怯え、慎重な劉秀が加わることで反乱に参加する者が増える

 王莽は一定以上の土地所有を禁じ、奴婢も規定数を上回る者からは没収しました。また、土地の売買を禁止し、貧富の差が開かないようにしました。ところが、厳しく取り締まった結果、富裕層での不安が高まったため、後12年には法律は廃止され、土地売買契約は許されるようになっています。

 豪族からすれば、王莽政権はいつまた自分たちの財産に食指を伸ばしてくるか知れたものではありませんでした。特に劉氏の血を引く者は、血筋としても、豪族としても、王莽に反対だったのです。

 特に、南陽では豪族が強く、舂陵侯の一族を擁して漢の復興を考える者が多くいました。ただ、血縁だけが蜂起に参加する者が多かった理由ではありません。劉縯は豪傑タイプで遊侠を多く集めてはいましたが、民衆の支持は集めていませんでした。劉縯が兵を集めようとしても、「劉縯が我々を殺そうとしている」といって逃げる者が多くいましたが、劉秀も反乱に参加したことから、劉縯は多くの衆を集めることができたそうです。

 劉秀は劉縯らに合流し、劉縯は更に新市、平林の反乱軍と連携します。こうして、別々に挙兵した劉玄と劉縯・劉秀兄弟たちが合流しました。

 彼らは湖陽や棗陽で新を相手に勝利を得たことで勢いを得て、宛を攻撃しようとします。しかし、南陽の反乱鎮圧のために派遣された新軍と遭遇、大敗を喫してしまいます。この敗戦で劉縯の弟の劉仲、ケ晨の妻で劉縯たちの妹の劉元を始め、同族で数十人が戦死するという大敗でした。

 新市、平林の軍は動揺し、解散を考えるに至りますが、劉縯の交渉により王常たちの率いる下江の軍と合流を果たしたことで何とか態勢を立て直します。しかし、宛では劉?や反乱に参加した者の縁者が多く処刑されました。

 こうして復活を遂げた南陽の反乱軍は新軍を破り、10万余りにまで勢力を拡大します。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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