2020年02月03日

後漢 古代の人口問題 前漢末の人口は59,594,978人、前漢初の2000万人から3倍増で、急速な人口拡大は社会問題を生み出す

 南陽劉氏は郡内の有力な一族と通婚し、豪族となっていたので、この時に加わった人々は呂母の乱に加わった悪少年(失うもののない、農家の次男以降の男子)とは少々その性格を異にします。

 当時の豪族は大土地所有者で、同族で結集していただけではなく、賓客を養っていました。前漢の後期には、これら大土地所有者と貧農の差が開いてきます。

 原因の1つには大幅な人口増加がありました。平帝の時代に戸籍調査が行われ、59,594,978人だったと記録が残ります。戸籍調査の目的は税金の徴収ですから、税を払うことのない奴婢や国内居住の異民族、宦官などは含まれていません。そのような瑕疵があるので、実際にはこれを大きく上回るのではありますが、人口を6000万人と考えておきましょう。

 これ以前に正確な人口調査記録はありませんので、推測に頼らざるを得ないのではありますが、戦国時代の人口について、『貝と羊の中国人 (新潮新書) - 加藤 徹』は各国の兵力を元に約2000万人との数字を弾いています。ここではこれを信じるとしましょう。

 ということは、前漢のおよそ200年間で人口は3倍にも増えたのです。比率で言えば、1年ごとに0.55%ずつ人口が増えた計算です。

 当然、増えた人口を維持することが必要です。しかし、人口が増えるとそれに比例して同じだけの肥沃な土地が生まれるわけはありませんよね。農地の開墾が必要となるわけですが、なぜ未開墾の土地があるのでしょうか。それは、水源から遠かったり、日当たりが悪かったり、土壌が痩せていたりと、農業に向いていないからです。そこを開墾しても、得られる農業収集はたかが知れています。

 土地を放棄した者は大土地所有者のもとへ流れ込み、大土地所有者はその抱える人数で収入を上げていく、というわけです。こうした理由で、国が安定すると人口が増え、貧富の差は激しくなります。動乱の時代では、大金持ちは真っ先に農民反乱のターゲットとなりますからね。

貝と羊の中国人 (新潮新書) - 加藤 徹
貝と羊の中国人 (新潮新書) - 加藤 徹


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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