2020年01月17日

新 簒奪に反対した女たち 王太后や王莽の娘で廃立された劉嬰の妻は漢の滅亡を喜ばず、鬱々と過ごすことになる

 漢王朝は悪政で命脈が尽きたわけではありませんが、幼帝が続いて大帝国を統治するだけの力を失っていましたから、平和裏に皇帝が変わるのであれば、それはそれで良いことだったのかも知れません。

 簒奪に最も激しく反対したのは、太后王政君です。彼女は詔制臨朝にあたっていたため、秦が滅んだ際に漢に伝えられたという伝国の玉璽を持っていました。日本で言うところの三種の神器に相当する、皇帝を継いだことを象徴する道具です。

 王莽は太后のもとへ側近の王舜を送り、玉璽の引き渡しを要求します。

 太后は「私達の一族は漢家の力で代々富貴になったのに、恩に報いずに国を奪おうとしている。このような最低な人間にはイヌやブタも寄り付かない。漢家の独り身の老婆を玉璽とともに葬ってほしかったが、それも叶わぬ」と激しく王莽を罵りました。そして、「私が老いて死んだ後、お前の兄弟たちは全て族滅するだろう」と罵ると、握りしめていた伝国の玉璽を投げつけました。この時、竜の角が欠損したと伝えられます。

 こうして抵抗虚しく玉璽は王莽の手に渡ったのでした。

 王莽は即位すると、太后に新室文母太皇太后なる称号を与え、元帝の廟を壊して造った宮殿に王太后を住まわせます。元帝といえば、太后が嫁いだ相手でしたね。王莽はこの宮殿で、王太后のために宴席を設けたのですが、王太后は「漢の宗廟が壊されている横で酒食を取ることはできない」と言って、楽しまずに宴席から離れました。

 簒奪を快く思わなかった王一族は、王太后ただ1人ではありません。王莽の娘で平帝に嫁いでいた王皇后も同じです。

 廃された劉嬰が定安公とされたことに伴い、王莽は娘の号を黄皇室主とかえ、再婚させようと考えます。皇太后の号のままでは釣り合う身分の者がいませんからね。そして立国将軍の孫建の息子の見舞いに着飾らせて赴かせましたが、彼女は立腹のあまり病を発してしまいます。ほぼ寝たきりで生活を送るようになった娘に王莽も何も言えず、彼女は一人で過ごすことになります。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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