2020年01月13日

新 儒教国教化 孔子が排除しようとした迷信も取り込むことで皇帝を思想的に受け入れ、儒教は国教化していく

 「経度」という言葉に見られるように経は縦を意味し、緯度が横を意味します。経書が正統な知の流れを経糸に見るならば、未来を見通す神通力を持つ緯書は緯糸として、知は面となるのです。

 半分がオカルトなのに知が面になるなんて言ってどうなるんだ、と思われるかも知れません。しかし、当時の知識階級にとっては、神秘は天がしろしめす意思に他なりませんでした。人為的なものだと一笑に付すなど、とてもできないことだったのです。

 迷信や非合理を語る緯書は、人々の支持の下に儒家の書に入り込んでいったのです。ローマ帝国への怨嗟を終末論に織り込んだ『ヨハネの黙示録』が熱烈な支持を得て聖典に準ずるほどの地位を得たことや、解脱するために執着を捨て修行に励むことを求めたゴータマの思想が念仏を唱えれば救われるというお手軽な宗教に変わっていった仏教と同じようなことが、儒教でも起こっていたのです。

 「怪力乱神を語らず」と語っていた孔丘の思想とかけ離れた考えですね。

 一方、神秘思想を儒教が取り入れたことは、儒教国教化への道を開きます。

 儒教の祖、孔丘が生まれたのは春秋時代でしたね。国々が覇権を争って相争い、周の権威が凋落する時代にあって、諸侯はどう振る舞うべきか、という考えが強い思想です。「皇帝の権威の拠り所が天」という、オカルトがかった制度を受容するには、オカルトがかった緯書を必要としたのです。

 王道思想からオカルト思想へ変貌を遂げた儒学は、儒教として国教となる道を開いたのです。

 王太后は「これは天下の全ての者を欺こうとするものである。広めることなどできません」と、極めてまっとうな反論を行います。王莽の腹心王舜は王太后に、「このような符命が現れたからにはもはや天命に従うしかありません」と説得、ついに王太后も石の権威を認めるしかありませんでした。

 しかし、王舜らが王太后に求めて書かせた詔には、「王莽皇帝に為れというのは皇帝を代行せよの意味」とし、皇帝となることははねのけました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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