2020年01月08日

新 失脚と復活 成帝が亡くなり哀帝が即位すると王一族は権力から逐われる ほどなくして哀帝が死に、王皇后は璽を奪って王莽を大司馬に復活させる

 前8年、王莽の叔父の王根が病を理由に大司馬を退きます。しかし、実際には病だけが理由ではなく、この疑獄事件の影響もありました。彼は後任に王莽を推し、退任したのでした。

 ようやく転がり込んできた権力でしたが、王莽の大司馬時代はすぐに終わってしまいます。翌前7年、成帝が亡くなり、哀帝が即位すると王氏が逐われたのでしたね。この際に王莽も新野に戻ることになったのです。

 下野している間、次男の王獲が奴婢を殺すという事件が起こります。王莽は王獲を自殺させ、謹厳さを示しました。

 こうしたことから王莽は民衆から慕われ、冤罪を訴える上書は100を超えたと伝えられます。復権がなったのは前2年のことでした。この年に日食が起こると、「王莽が冤罪で下野していることが原因」と主張する者があり、王莽は中央に復帰したのです。

 復帰した王莽の課題となったのは、旱魃と蝗害によって被害を受けた民の救済です。王莽は資産2万銭、資産10万銭以下の者への救済策として、租税を免除したり死者が出た家には葬祭費の支給したり、貧民を移住させて土地を与えるなどの恤民政策を取りました。

 民衆が王莽復帰を喜んだのは当然だったことでしょう。

 前1年には哀帝が皇帝の印綬を愛する董賢に託して世を去ります。王太后は印綬を奪って王莽を大司馬に任命しました。これで朝廷は王莽、後宮は王太后と、王氏に権力が戻ったのでした。董賢は自殺しました。

 皇帝に立てられたのは中山王劉衎です。これが平帝でしたね。

 皇帝とはいえ、平帝は9歳の男の子に過ぎません。家族が恋しいこともあるでしょう。しかし、平帝の母方の一族は長安に入ることが許されませんでした。

 なにせ、衛氏は皇帝に最も近い存在となり、当然、高位高官に任じられるでしょう。現在その地位にあるのは王一族ですから、どう転んでも王一族の失脚は間違いないのです。哀帝の時代、傅一族が取り立てられて王一族が排斥されたことがありましたね。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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