2020年01月07日

新 出世の端緒 病に倒れた王一族の頭領である伯父・王鳳を懸命に看病したことから出世の道を開いた王莽

 新について書き始めるに当たり、さらっとながしてしまった前漢末期における王莽の行動を見ておきましょう。どうしても重複が生じてしまいますが、どうかご容赦ください。

 王莽は王鳳の早世した弟、王曼の遺児です。兄がいたのですが、早くに亡くなったため、王莽が家督を継いでいました。先に記した通り、王鳳の兄弟で存命中の者は皆列侯に封じられたのですが、王曼は死去していたため封じられませんでしたね。そのため、一族の者が奢侈に耽る中、王莽は慎ましやかな生活を送るしかありませんでした。若くして沛の陳参の下で儒学を学び、家では寡婦となっていた母や兄嫁に仕え、兄の遺児を養い、と品行方正で知られていました。

 前22年、当時の王一族のリーダーだった王鳳が亡くなります。この時、病床の王鳳の面倒を見たのは王莽でした。

 王莽は数ヶ月に渡って叔父王鳳を看病します。その熱心さは尋常なものではなく、薬は自分が舐めて試し、身なりも気にせず帯を解くことすらなかった、と言われるほどでした。

 看病の甲斐なく、王鳳はそのまま亡くなります。

 彼は死ぬ前に、元后と成帝に王莽のことを頼みこんでいました。そのため、王鳳の死後に王莽は黄門郎に取り立てられました。これが王莽の出世の緒になりました。

 王鳳の後を継いで大司馬となっていた王音が亡くなり、王鳳の弟の王商が大司馬に就いた前16年、王莽は騎都尉、光禄大夫、侍中に昇進し、加えて新都侯に封じられます。新都侯の封邑は南陽郡の新野にありました。三国志ファンの方には馴染みの深い地名ですね。そう、後の新野の戦いの舞台です。

 彼が樹立した王朝名の新は、この新都にちなみます。

 王莽の野心はこの頃には既に膨らんでいたようで、彼は早速行動を開始します。

 まず標的とされたのは、衛尉の淳于長です。

 淳于長は、成帝が並々ならぬ寵愛を注いだ趙飛燕を皇后に冊立した功績(?)で衛尉となっていました。王莽は元后に、衛尉の淳于長は王根に代わって大司馬になろうとしていると讒言して下獄させたのです。淳于長は獄中で自殺しました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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