2020年01月01日

ミイラ 日本のミイラ7 義経を匿ったことで源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏3代の遺体はミイラとして現代に残る

 人工ミイラの一部は数年に渡って木食行を続け漆を飲んで、ミイラとなる準備を重ねてきたものですが、そうではない事例もあります。例えば現存する鉄竜海上人のミイラを調べたところ、内臓や脳は取り去られ、石灰が詰められていたことが判明しました。

 こうした事例を取り上げた後、『日本・中国ミイラ信仰の研究』はこう記します。

日本の入定ミイラの発生は、平安末、浄土信仰が盛行して、真言密教の即身成仏の思想と合体、ここに真言浄土信仰が出現したことによる。つまり浄土信仰により、死は極楽の入口となり、生けるが如き遺体が尊重され、さらに即身成仏の実証として、ミイラが作られて礼拝された。その事例が高野山の琳賢である。そしてさらにそれが弥勒信仰と合して、弘法大師の入定説話を誕生させ、結縁という日本社会特有の心理現象の波にのって、高野山は日本の墓地として発展した。


 僧侶以外でミイラが残ることで有名なのが、奥州藤原氏です。源平合戦が終結した後、源義経は独断専行や官位を勝手に受けたことを兄の源頼朝に疎まれ、追討されます。この義経を匿ったのが、奥州平泉に勢力を築いていた藤原氏です。源頼朝は義経を許さずに圧迫を加えたため、藤原氏は義経を自刃させます。

 しかし、奥州に独立勢力が残ることを嫌った頼朝は、義経を匿い続けたことを理由に奥州へ出兵、藤原氏は滅ぼされました。

 この奥州藤原氏の藤原清衡、基衡、秀衡3代の遺体と、泰衡の首がミイラ化して残っています。

 天然説と加工説があるとのことですが、たまたま3代に渡ってミイラができたという偶然は考えにくいように思われますし、遺体には内臓が無いということからも、加工説が正しいのではないでしょうか。

 ただ、人工ミイラ化どうかすら決着がついていない状況ですし、人工ミイラであったとしてもミイラ化の方法などは判然としていないのが残念です。

日本・中国ミイラ信仰の研究
日本・中国ミイラ信仰の研究



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2020年01月02日

ミイラ 日本のミイラ7 藤原氏のミイラと関連して語られることの多いアイヌのミイラ 樺太のアイヌは中国との関係でミイラ化が決まった

 藤原氏のミイラとの関係で語られることが多いのが、アイヌのミイラです。もっとも、藤原の血縁は明らかにアイヌ系ではなく、遺体の分析からもそれは裏付けられています。まず直接の関係はないと推測されることを押さえた上で、アイヌのミイラについても見ておきましょう。
北海道のアイヌは一般に体を伸ばした状態で土葬されます(これを伸展葬と呼びます)。

 ところが、同一民族である樺太のアイヌはミイラをつくっていたことが知られています。刃物を用いて臓器を抜き去り、乾燥させました。腐りやすい部分を取り除いてから乾燥させる、この項では既に見慣れた方法ですね。

 ミイラ処理は女性が担当しました。任命された女性たちは毎日遺体を洗い、乾燥させました。1年後、腐敗臭がなければ成功したことで賞されたのですが、腐敗臭があればその女性は殺され、腐敗したミイラの先に埋められたそうです。

 アイヌのミイラは歴史的には古いものではなく、14世紀以降18世紀までの限られた期間にしか行われませんでした。酋長や捕鯨者の中でも限られた者にのみ、行われたそうです。

 なお、一般の者は北海道のアイヌと同様に伸展葬でした。

 樺太のアイヌは緩やかながら清朝の支配を受けていました。ミイラ化されたことが判明している酋長の楊忠貞は中国から官位を与えられていたことが分かっていますので、あるいは中国との関係でミイラ化されるかどうか決まったかのかもしれません。

 1840年代にロシアの勢力が樺太に及ぶに至ると、樺太アイヌと清との関係が断ち切られます。それに伴い、ミイラは作られなくなっていきました。

 興味深いことに、樺太から見れば太平洋北端の対岸側に位置するアリューシャン列島でもミイラ化が行われていました。1000体余りが知られています。
 
 アリューシャン列島では死者と別れ難い心情がミイラを生んでいたようで、遺体は本人が寝ていた場所の上で乾燥させられ、ミイラは家の中に止め置かれました。


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2020年01月03日

ミイラ 日本のミイラ8 アリューシャン列島におけるミイラ化手法 1880年の墳墓発掘禁止令と死体損壊禁止令が人口ミイラの終わりとなる

 その期間は大人の場合、31日乃至40日でしたが、赤ん坊の場合は次の子供が生まれるまで家の中に安置され、母親は生きている子供と同じように扱ったそうです。

 日数の違いは、親が子を悼む心情に加え、ミイラが陣取るスペースというはなはだ実際的な問題もあったのかも知れません。

 アリューシャン列島では肛門と陰部の間の会陰部を切開して骨盤の間から腸を抜き取ったり、胸部や腹部を切開して臓器を抜き取ったりした後、流水に浸して残った内蔵や腐敗しやすい脂肪を除去し、干草を詰めました。切開方法にミイラ化に複数の手段が取られたのは、社会階級によって異なっていた可能性があるそうです。

 様々な形でミイラ化が行われてきたことが分かりますね。

 人工ミイラの終わりを告げることになったのは、1880年に施行された墳墓発掘禁止令と死体損壊禁止令です。この法律によって、ミイラ化は違法となったのです。その後もミイラを崇める方はいましたが、新たな即身成仏ミイラは生まれていません。もちろん、ライフスペース事件で成田のホテルからミイラ化した遺体が発見されたように、何らかの理由で自然ミイラが生じたようなケースはありますが、これは犯罪の糊塗として生じたものであり、これまで見てきたような事例とは大きな隔たっています。

 これまで見てきたように、ミイラ化には様々な手法が取られたことが分かりますね。

 もうちょっと「キワモノ」のミイラとしては、人魚のミイラを挙げることができるでしょう。まだ日本が開国したばかりの頃、「謎めいた東洋の謎の小国ジャパンで見つかった謎のミイラ」として人気を博したのが、上半身がサル、下半身が魚を継ぎ接ぎしたミイラの人魚です。

 継ぎ目が分からない見事な出来栄えでしたが、X線写真を取ったところ、流石に背骨まではつながっていなかったそうです。X線写真を取る物好きがいるのですね。

 現代の技術を使えば贋作と分かっても、当時は継ぎ目が分からず、本物と思われていたのです。ラインを整えるために綿の詰め物がされていたり、継ぎ目を様々な加工によって見分けづらくしようとしていたことを考えれば、我々のご先祖様が丁寧な仕事をしていたことを讃えたくなりますね。

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2020年01月04日

ミイラ 現代のミイラ 極めて宗教であるミイラは現代でもその価値を失っていない 聖人の遺骨やミイラに価値を見出す人々 ザビエルのミイラ

 なお、大英博物館にも人魚のミイラが展示されています。興味を持たれた方は探してみては如何でしょうか。また、他にも各地に鬼や河童のミイラがあることが知られていますので、探し歩くのも面白いかも知れません。ただし、そのときには作りものであることをお忘れなく。

 人工ミイラを生み出してきた人の心、つまり、死者を悼み、死や遺体を特別なものと考える心は近代化しても変わるようなものではありません。

 近代や現代でも、上記の極めて宗教的な動機からミイラが作られることがあります。あるいは、自然とミイラとなった後に、崇拝されることがあります。

 例えば日本にキリスト教を布教師にやってきたフランシスコ・ザビエルはミイラ化されています。イエズス会創設メンバーの1人でもあるザビエルは1552年に中国で死去します。享年46でした。

 ザビエルの遺体は石灰と共に埋葬されたことでミイラ化しました。後に布教にあたっていたインドへ移されました。1614年にイエズス会総長の命令により、腕が切断されてローマのジェズ教会へ運ばれています。その他にも、マカオに上膊、日本にも胸骨の一部が残っています。

 宗教が絡むのであればまだ理解できます。ゴータマ・シッダルタの場合、遺骨(仏舎利)を合計するとゾウを上回るほどの骨が残されています。信仰心があれば、どこからどうみても怪しいものでも聖なるものと信じられますし、そこには価値があるとみなされるのです。

 ちなみに、中唐を代表する詩人で科挙に合格して政治家となった韓愈は、皇帝が実に怪しい仏舎利を多額の資金で購入することを「仏骨を論ずる表」で批判して左遷させられています。この時に読まれたのが、「左遷されて籃関(らんかん)に至り姪孫(てっそん)の湘に示す」です。

 その中の「雲は秦嶺に横たわり 家何くにか在る」の部分は、稲葉一鉄が織田信長に助命され、重用されるようになるきっかけを作ったことでも知られるのですが、完全に余談でしたね。


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2020年01月05日

ミイラ 現代のミイラ2 王朝を樹立した王の遺体もまた、聖なるものとしてミイラ化されることがある 宗教を否定したレーニンの防腐処理されたミイラ

 偉大な王の遺体やその一部がミイラ化されることも、極めて宗教的です。後継者たちは偉大な先達の威厳を借りようとしたり、民衆の素朴な信仰心を統治に利用しようとしたのでしょう。例えばハンガリーの初代国王イシュトヴァーン1世の右手のミイラは今もイシュトヴァーン大聖堂に残っています。私は訪れたことがありますが、残念ながら当時はその事実を知らず、目にしませんでした。

 王朝とは異なりますが、レーニンの遺体は防腐処理されて今も生前の姿を留めています。皮膚のほとんどはパラフィンやグリセリンで置換されているので、レーニンの遺体はこれから先もかなり長い期間、生前の姿を遺し続けることでしょう。

 マルクスは「宗教は阿片」と主張し、レーニンは宗教を弾圧しました。しかし、それでもレーニンの遺体がこのような宗教的扱いを受けているのは、共産主義の矛盾と皮肉が垣間見えるように思います。あるいは、ヒトの信仰心はかくも根強いものである、といったところでしょうか。

 ちなみに、スターリンの遺体も防腐処理されていますが、既に埋葬されていますのでその姿を目にする機会はなさそうです。

 宗教とは相反するような分野でも、ミイラが崇拝されることがあります。その代表的なものは、ガリレオ・ガリレイの右手中指でしょう。フィレンツェのガリレオ博物館は今もガリレオの指を展示しています。

 ガリレオの死の95年後、熱烈なファンというアントン・フランチェスコ・ゴーリなる人物が墓を開き、ガリレオの右手から望遠鏡を覗くのに使っていたと彼が信じた親指、人差指、中指の3本を切断してしまいます。

 著名な科学者の遺体に特別な価値を見出すことほど、科学と縁遠い行為もそうそう無いように思うのですが、如何でしょうか。

 ともあれ、ミイラには今も人を惹きつけてやまないものがあります。歴史と文化と人々の願いを背負ったミイラを一度に見る機会など、そうそうありません。もし私の記事で少しでもミイラに興味を持たれたのなら、ぜひ今回のミイラ展をご覧になってみてください。


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