2019年09月30日

漢武帝 朝鮮併呑3 漢の包囲を受けた王険では和平派が朝鮮王を殺し、漢に降る 漢は広大な地域を手中に収め、大帝国へと成長した

 王険の内部では先行きに不安を覚えた人々が降伏してしまいます。更に、降伏派は刺客を送って衛右渠を暗殺させてしまいました。それでも漢への抵抗は続いたのですが、荀彘は衛右渠の子の衛長や降伏した高官たちに降伏を呼びかけさせる一方で、反乱軍の中核部隊を叩き潰すことで朝鮮半島を平定し、漢は楽浪郡など4郡を設置しました。前108年のことでした。

 帰国した将軍には、しかし過酷な運命が待ち受けていました。左将軍荀彘は功績を争って戦略に齟齬を来した咎で棄市され、楼船将軍楊僕は上陸した際に荀彘を待たずに攻撃をして敗北した(荀彘が敗北して国境を越えられなかったのが原因なのですが)ことで死刑に相当するとされましたが、金で罪を贖い平民とされたのです。

 匈奴を北に追い、南越と朝鮮を平定したことで、多くの外国との通商ルートが開かれることになりました。『中国文明の歴史 (講談社現代新書)』はこうまとめています。

武帝は、東は朝鮮王国を滅ぼして日本列島への通路を確保し、北は匈奴を逐ってシルク・ロードを通じ、南は南越を滅ぼして南シナ海・インド洋貿易航路を開き、西は四川省から雲南省、東チベット、ビルマ、アッサムに通じるインド・ルートをおさえて商圏を握った。
 こうした活溌な軍事行動のため、大規模な人口の移動と都市集中がおこり、官僚層が厚くなって、知識階級が形成された。そのため、これまで各教団の独占であった文字の知識も、教団を渡り歩いて習得する傾向が生じ、思想の交流、混合が盛んとなった。


 上掲書は続けて、こうした学問の交流の中で「しだいに儒家が他の雑多な教団(学派)の思想や知識を吸収、総合して、新たに未来の予見を可能とする一種の科学たる儒教の古文学派が成長し」た、としています。科学の定義が私とは異なるようで全面的な賛同はできかねるのですが、儒教が勢力を伸ばしていった背景にはこうした点もあるというのは押さえておいて良さそうです。

中国文明の歴史 (講談社現代新書)
中国文明の歴史 (講談社現代新書)


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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