2019年09月23日

漢武帝 南越併呑2 南越の丞相呂嘉、漢に傾きつつある王族への反発を集め、王族との対立が深まる 漢は強硬策を採用、小部隊を南越に送る

 南越の高官には漢から職位を表す印綬が与えられ、漢と同じ法律が適用されることが命じられました。漢では廃止され、南越では残っていた肉刑も同様です。

 しかし、独立していた国が他国に服従するということになれば、面白くないと思う者は大勢いるものです。そうした人々の望みを担うことになったのが、丞相の呂嘉です。

 呂嘉は趙胡の代から3代に渡って仕えてきた老臣で、その一族は王家とも縁戚関係で深く結びついていました。異民族出身の王よりも、呂嘉の方が信望を集めていました。こうしたことから、南越人の多くが呂嘉のためには労を厭わなかったのです。この呂嘉は王族の入朝に反対し、漢の使者との面談も拒絶しました。

 太后や漢の使者は呂嘉に対して疑心を深めていきました。状況を変えようとしたのは太后たちです。彼らは宴会を開き、その席上で呂嘉らを捕らえて処刑しようと図ったのです。

 しかし、呂嘉は挑発的な質問にも自制し、逮捕の口実を与えませんでした。

 宴会は流血を見ること無く終わったのですが、以後はどちらが先に動くか、というだけの話だったのでしょう。いえ、正確には、そのことを呂嘉は見抜いていましたが、年若い南越王は呂嘉を殺す気はなく、太后は人望がないため呂嘉を殺させることはできませんでした。

 武帝はこの状況を知り、ただ呂嘉だけが反乱を起こそうとしているのなら、兵士を2,000ほども送っておけば十分だと判断します。

 荘参なる者は、「友好のための使者であれば数人で足りるでしょうし、戦争のためであれば2,000では足りません」と中途半端さを諌めました。しかし、武帝はこの忠言を嘉せず、荘参を免職にしてしまいました。

 代わりに韓千秋という壮士の主張が採用されます。彼は「200人もあれば必ずや呂嘉を斬ってみせます」と大言壮語して任されたのです。武帝は韓千秋に200、太后の弟に2000の兵を授けて南越へ送り出しました。何やら、楚を攻めるには60万が必要と行った王翦に対して20万で十分と主張した李信の事例に似ていますね。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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