2019年09月20日

漢武帝 霍去病の死 前117年、霍去病は24歳の若さで世を去り、息子の霍嬗が後を継ぐ 元号の始まり

 一方、農機具に欠くことが出来ない鉄についても、鉄鉱石の産地が限られていることから専売が容易でした。こちらは全国50箇所の鉄鉱石の産地に鉄官を置いて製鉄と鉄器販売を監督させる方式でした。

 塩や鉄への徴税そのものは、専売制以前にも行われていました。しかし、それは民間業者への課税に留まり、また納税先も皇室の財を管轄する少府でした。ということは、どれだけ納税があったとしても、それは戦費不足に対する解決策とは成り得なかったことを意味します。そこで、まずは塩と鉄の収税を国家財政を管理する大農へ移すところから改革がはじまります。

 これらの改革が実ったこと、匈奴への大掛かりな出兵が無かったことなどから、漢の財政は大きく改善していくことになります。

 対匈奴との戦いが止んでいる前117年、霍去病は死去します。享年、24歳でした。成人してからは匈奴との戦いに次ぐ戦いで、匈奴との戦いが一段落ついたところで亡くなったことになります。その戦果について、史記衛将軍・驃騎列伝は「出撃総計6回、斬首・捕虜は11万余りで、渾邪王を降伏させ、河西回廊や酒泉を漢の領土とし、匈奴の侵入は少なくなった」とまとめています。匈奴と戦うために生まれてきたような人生ですね。

 爵位は息子の霍嬗が継ぎました。武帝は霍去病の死を悼み、霍嬗についても格別の待遇をしています。特別扱いについては後に見ることになるでしょう。

 前116年、瑞祥が現れた、等の事由で時代を区切り、名称を付けるべきだとの上奏がありました。それまでも、改元そのものは存在し、例えば文帝も改元をしています。しかし、従来は今○年というだけでした。今上陛下の○年、というだけの言い方です。これに対し、時代区分に名前をつける、ということにしたのです。

 元号の始まりです。まずは宝鼎が見つかったことから、元鼎という元号をつけました。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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