2019年09月19日

漢武帝 塩の専売 贋金の蔓延に苦しんだ漢、桑弘羊の案で塩の専売を開始する 塩を専売にすることができる背景について

 実際に5銖銭の流通が始まったのは、翌年の前118年からです。しかし、銭の発行を諸侯国にも許していたことから、品質のバラツキが非常に大きく、前113年に貨幣鋳造を漢中央のみが行えるようにするまでは盗鋳が相次ぎました。死刑になった者が数十万人に及ぶ、とされます。
人口3000万程度の当時で数十万人ということは、人口の1〜2%が処刑された計算なので、流石に大げさだと思いますが。

 前117年には爵位を1級17万銭で売り出していますが、これでもまだ足りなかったようです。

 そこに現れたのが、桑弘羊という経済官僚です。

 桑弘羊は洛陽の商人の父から生まれ、算術に優れていることから若干13歳で侍中となったという、天才肌の人物です。この桑弘羊が唱えたのが、塩や鉄の国家専売制でした。

 生物は塩が無ければ生きていくことができません。もし、塩が酸素のように各地に遍く存在するのであれば、それを財源にするのは難しかったのでしょう。しかし、広大な中国では海から塩が得る他は僅かな塩井、塩水湖からしか塩を得ることができませんから、流通を比較的容易にコントロールできるのです。呉楚7国の乱において、呉の豊かさの背景に海水を煮て塩を得ていたとあるのはこのことです。

 塩は民間で生産され、その全量を国家が購入する形を取りました。安価に購入可能な塩は、競争相手もいないことから、国が必要と考える値段で民間に売却されました。ということは、値段を釣り上げ放題だった、というわけです。そして、塩は生命活動に必須のものですから、どれほど高くても誰もが購入しなければならなかったのです。

 こうした特徴から塩の専売は長く続き、民衆の怨嗟の的になっていました。唐末期、安禄山の乱などで屋台骨がガタガタに崩れていた唐に止めをさすことになる黄巣の乱も、この塩の専売を背景とするものです。

 塩が必須というのは人類に共通の話ですから、給与を意味するサラリーのもとになったラテン語のsalariumが塩saltを語源にするのも無理からぬところです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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