2019年09月17日

漢武帝 勝利の裏側 大量の軍馬が失われたためこれ以上の攻勢は不可能に 戦費の消費も著しく、財政はとても耐えられないレベルだった

 さて、勝利は華々しいものだったのかもしれませんが、漢の被った損害もまた、甚大なものでした。遠征に向かったウマは14万頭でしたが、帰国したのは3万に過ぎません。勝利を挙げた霍去病にしても、その軍の3割は失われていたのでした。

 大量のウマを失ったことは、漢から匈奴への攻撃が困難になったことを意味します。一方、大敗が続いたことから匈奴は北方へ大きくその勢力を後退させましたから、両者の戦いは大きく減じました。匈奴がもし漢の実情を知っていれば、また別の歴史があったのかもしれません。

 対匈奴戦争が困難になったのは、ウマ不足だけではありません。戦費の不足も問題になっていました。『概説中国史〈上〉古代‐中世』にはその戦費のとてつもない規模が紹介されておりますので、引用しておきます。

例えば、匈奴を漠北に駆逐した元狩4年(前119)の戦闘では10万騎が出撃しているが、居延漢簡に記載される1ヶ月の食料(戍卒は脱穀済穀物40l弱、伝馬は116l強)で計算すると、10万騎が1ヶ月遠征するには1560万l(200lドラム缶78,000本相当)の穀物が必要になる。手柄を立てた兵士への報奨は黄金20万斤(1斤=256gなので50数t)に上り、渾邪王が投降した元狩2年(前121)の支出は直接軍事費に渾邪王出迎え費用なども含めて100億銭余になった。


 こうしたこともあり、保有する財産に応じて賦課される算訾(さんし)が増税されました。合わせ、船や車にも課税されるようになりました。

 脱税防止として密告を奨励する告緡令も発布されています。これは財産の一部または全部を隠匿していることを密告し、有罪が確定すると、財産は没収されて1年間の辺境警備を命じられるという過酷なものでした。しかも、有罪となった場合には、密告者に没収した財産の半分が与えられたのです。これはもう、密告し放題ですね。この法律により、没収された物の値段は億に上り、奴婢は1千万に上った、と言います。流石に、奴婢が1千万というのは「白髪三千丈」的なものだとは思いますが。

概説中国史〈上〉古代‐中世
概説中国史〈上〉古代‐中世


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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