2019年09月15日

漢武帝 李広の死1 李広の戦死を恐れた武帝は無理に攻撃させないよう衛青に命じていた 衛青は匈奴に勝利するが、単于は取り逃がす

 遠征に際して、李広は出撃を望みましたが却下されています。それでも何度も願うため、根負けした武帝は李広を前将軍に任命し、衛青の指揮下で匈奴攻撃に参加させたのでした。ただし、武帝は李広は老いて、運の悪い人物なので、無理に攻撃をさせないようにと衛青に伝えていました。

 そのため、単于の居場所を捕虜から聞いた衛青は、李広と軍を分け自分は西の道を進み、回り道になっている東の道から李広を進ませたのです。この東側のルートは補給拠点が少なく、大軍が進むには適しません。李広は最前線で匈奴と戦って死にたいと願いましたが、拒否されて東の道へ進みました。

 李広を戦死させないためのこの措置は、逆に李広の運命を決定づけることになるのですが。

 衛青はまず5000の騎兵に匈奴を攻撃させます。匈奴側は1万騎を繰り出してきました。数だけ見れば、漢は圧倒的に不利だったのですが、折よく吹いた強風が両軍の視界を奪います。この隙に、衛青は左右両翼の軍も動かし、匈奴を包囲させます。

 匈奴は不利を悟ると、撤退に移りました。単于もまた、6頭のラバに乗り、精鋭の騎兵数百に守られて西北へと逃げ去りました。現場の騎兵たちは単于の遁走を知らずに戦い続けましたが、遂に全軍が退却しました。

 漢軍は単于が逃げたことを知り、追撃に移ります。しかし、既に単于は捕捉できないところまで逃げていました。

 匈奴側ですら一時は単于の居所を掴めないというほどの大敗北です。右谷蠡(うろくり)王はこれを聞いて単于を称したのですが、単于が生き延びていたことを知ると、自称を取りやめています。

 李広たちは、遂に決戦までに衛青と合流することは出来ませんでした。

 勝利は得たものの単于を捕らえることはできずに引き返してきた衛青たちは、帰路に李広たちと再会します。

 衛青は道に迷った状況を聞くために李広の部隊へ使者を送りましたが、李広は答えません。言い訳をすることを良しとしなかったのでしょう。衛青は、今度は長史を送って報告書の提出を求めました。


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posted by 仲井 智史 at 14:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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