2019年09月14日

漢武帝 シルクロード 先進的な西方文化との交易により、中国からは大量の黄金が流出するようになる

 しかし、西域との貿易は、漢にとって必ずしも良いものではありませんでした。宮崎市定『中国史(上) (岩波文庫)』はこう記します。

一般に言って、文明の先進国と後進国が接触する際、先進国の工芸製品が後進国に輸入され、これと引替に後進国の貨幣が先進国に向って流出する。中国と西域とを比較した場合、何と言っても西域は古い文明をもった先進国である。もちろん中国にも絹のような特産品があるが、これはむしろ一次産品に近い。これに対し西域からは玻璃(はり)、瑠璃(るり)のような高度の技術によるガラス製品が輸入される。


 中国からは大量の黄金が流出していき、それは中長期的に漢の経済力を低下させることになります。

 西域ルートの開拓そのものは、漢にとってマイナス面もあったことを把握して、歴史の流れに戻ります。

 張騫は前115年に帰国し、外交使節を迎え入れる役所の長官である大行令に任命されました。既に高齢だったこともあり、彼はその3年後に世を去ることになります。

 さて、張騫が2度目の遠征に出発したのと同じ前119年、武帝は「匈奴は漢の兵士が砂漠を越えることはできないと思い込み、同じ場所にとどまっている。大軍をもってこれを撃てば必ずや目的を達することができよう」と言うと、衛青と霍去病にそれぞれ5万の兵を授け、出撃させます。この際、最精鋭の部隊は霍去病に配置されました。

 匈奴の捕虜から匈奴が東にいるとの情報が入ったため、霍去病を代から出撃させて匈奴の本体を狙わせ、衛青は西から進みます。

 衛青の指揮下には、前将軍李広をはじめ、前後左右の名を冠する4将軍が置かれました。

 皮肉なことに、匈奴の本体と遭遇したのは衛青の方でした。しかも、別れて進んでいた前将軍李広、右将軍趙食其は道に迷ったこともあり、戦場に着いていないという状況です。

 ただ、これはもしかしたら、衛青の計算通りだったのかもしれません。

中国史(上) (岩波文庫)
中国史(上) (岩波文庫)



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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