2019年09月09日

漢武帝 淮南王の反乱2 戦後処理で、反乱を自首した伍被は処刑され、劉安の一族は滅ぼされる 諸侯王の締め付けは強化される

 反乱計画を自首した伍被については、武帝は許そうとしたのですが、張湯は「伍被は淮南王の反乱計画の中心にいた人物であり、その罪は許されるべきではありません」と上奏したため、伍被もまた処刑されてしまいました。

 こうして淮南国は取り潰しとなり、九江郡へとなったのでした。

 淮南王劉安の弟に、衡山王劉賜がいます。この兄弟は仲が悪く、互いに非難する間柄ではあったのですが、漢に背いて天下を得ようという無謀な陰謀には乗っかろうとしました。彼は領地で領民の墓を壊して自分の農地にしたり、農民の土地を奪ったりして、訴えられようとしていたのです。

 また、劉賜の下に集ってきたならず者たちも反乱を焚き付けました。

 淮南王劉安の反乱計画が露見し、劉安が死んでも、計画に加わった者の捜査は続けられました。遂に劉賜もその一味であったことが暴かれたため、劉賜は取り調べの使者が来る前に自殺して果てました。彼の息子たちを始め、多くの者が処刑され、衡山国もまた廃されたのでした。

 以後、更に諸侯王に対する締付けは更に厳しくなります。

 王朝官吏の王国出仕を禁じる左官の律が制定され、中央から派遣された官吏には諸侯王が犯罪を犯したら報告することが義務付けられました。人事権だけではなく、懲罰権も中央が握ったわけですから、諸侯王にとって官僚は自分の見張り役以外の何者でもなくなったわけですね。
諸侯王だけではなく、列侯にも厳しくなります。祭祀のための酒の費用を諸侯王、列侯に供出させる酎金律なるものが制定されます。規定の量に満たなかったり質が悪いと県を削ったり、列侯だと国を除くというのですから、かなり厳しいものですね。  

 捜査にあたった廷尉張湯の名前は以前にも出ていましたね。陳皇后が武帝を呪ったとされる事件を処理し、陳皇后を廃位し、女官300人が処刑された事件です。その後、彼は廷尉にまで出世していました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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