2019年09月08日

漢武帝 淮南王の反乱1 『淮南子』で知られ、匈奴戦に反対だった淮南王劉安、反乱計画を巡らせるが、内通者のため計画は露見し自害する

 同じく前122年、淮南王と衡山王の反乱未遂事件が発覚します。

 淮南王劉安といえば、呉楚7国の乱が起こった際、反乱に与しようとしたものの、部下に兵士を奪われて反乱に参加せず、そのために生き残った人物でしたね。

 彼は入朝した際、武帝が太子を立てていなかったことから、「陛下がお隠れになったら大王様の他に後を継いで即位なさるべき人は他にいらっしゃらないでしょう」と田蚡に言われたことから野望を抱くようになっていたのです。

 また、劉安は対匈奴戦には反対で、そのため兵士の供出を求められても僅かにしか兵を送らず、様子見をしていました。取り調べに当たった中尉は「淮南王の罪は死刑の後に晒し者にすることに相当します」と上奏しましたが、武帝はこれを認めず、淮南から2県を削って済ませました。ところが、この処置に劉安は怒り、伍被と反乱を図ったのです。

 ところが、この計画を伍被が密告してしまいます。いや、これは十分に予見できることでした。劉安が伍被を相手に、反乱の際の軍の配置を相談すると、「なぜ陛下が寛大にも罪を許してお許しくださったのに、なぜそのように国を滅ぼすようなことを仰るのですか」と諌めています。

 淮南王は伍被の両親を牢獄に押し込めて伍被を協力させようとします。しかし、彼はそれでも劉安を諌め、伍子胥を例に引いて死罪を免れようとは思っていない、とまで言って軽挙妄動を止めようとしたのです。

 涙ながらに諌められても、劉安は考えを改めようとはしませんでした。根負けした伍被は渋々主君に策を授けますが、陰謀は好んでも決断はできない劉安は反乱に踏み切ることはできません。

 そうこうしているうちに、伍被が漢の使者に反乱を計画したことを自首してしまったのです。反乱計画に関与した人々は一網打尽に逮捕されました。

 朝廷では丞相の公孫弘、廷尉の張湯らが「淮南王の罪状は死刑に相当します」と奏上したため、武帝は劉安を逮捕するために使者を送ります。しかし、使者が辿り着く前に、劉安は自ら首を掻き切って自害しました。太子の劉遷らも処刑されました。


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posted by 仲井 智史 at 12:18| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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