2019年09月07日

漢武帝 張騫の帰国3 張騫の得た情報により、漢軍はオアシス伝いに遠征するようになる 張騫は出征するが、集合に間に合わず、平民に落とされる

 なお、香料の1つの安息香はこの安息に由来します。有機化合物で重要な骨格をなすベンゼンは安息香の主要成分である安息香酸から得られたことから名付けられたものです。安息香酸はベンゼン環にカルボキシル基(-COOH)が付いた単純な構造をしているので、高校の化学にも顔を出しますね。学部生の実験でも合成することがあると聞きますので、興味がある方は科学科を進路に選ばれても良いかもしれません。

 話が逸れました。

 張騫が持ち帰った地理情報は、対匈奴戦において非常に重要なものとなります。情報なくしては進撃すら不可能ですから、匈奴との全面対決を考える武帝には、願ってもないものでした。

 更に、張騫は大夏(バクトリア)で、蜀の布などの中国の産物を見て、どのようにしてこれらを手に入れたかを調べます。それはなんと、インドからやってきたものでした。このことから、張騫は蜀からインドへのルートがあることを知ります。これは匈奴を避けて、蜀からバクトリアへ使者を送ることができる可能性を意味するものでした。

 武帝はインドルートを開拓しようと使者を送りましたが、残念ながら他の民族の妨害を受けて野望はなりませんでした。

 余談ながら、唐代に玄奘三蔵がインドへ経典を求めに旅立ったのは、蜀からではなく、長安西北から異民族の土地を抜けていくルートです。ということは、張騫が大夏で見つけた中国の産物が辿ったのとは逆のルートですね。

 以後、張騫は対匈奴遠征に参加し、地理の知識を活かして貢献していくことになります。兵士は渇きに苦しむことはなくなり、勝利に貢献したことで張騫は博望侯に昇進しました。

 翌年の前122年、張騫は衛尉に昇進し、衛青の配下として匈奴攻撃に向かいます。しかし、集合の期日を守ることができなかったことから、死罪を言い渡されます。彼は金で罪を贖い、平民となりました。

 平民とはなっても、張騫の持つ知識は余人をもって代えることはできませんから、政府との連絡は持ち続けたようで、後に復権をみることになります。
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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