2019年09月02日

漢武帝 飛将軍李広2 李広と同時期に活躍した程不識と李広の違い 李広は兵士を自由にさせたことできちんと働かせた

 捕虜を縛ってウマに乗せて匈奴の方を見ると、匈奴の騎兵数千の姿が見えました。戦えば全滅することは確実です。部下の騎兵たちは速駆けして陣地に戻りたいと主張しましたが、李広は逃げ出せば追われて全滅すると言って、匈奴に近づき、ウマから降りて鞍を外すよう命令します。

 匈奴に囮の部隊と思わせたのですね。

 白馬に乗った将校が敵の中から出て、部下に指示を出し始めます。それを見た李広は直ちに10騎余りを率いて突進、将校を射殺して仲間のところに戻りました。そうこうしているうちに日が暮れます。李広は部下にウマを解き放って横になれ、と命令します。匈奴は伏兵による夜襲を疑い、遂に去った、ということです。

こうした活躍で李広の名前は徐々に知られていき、匈奴へ反攻したいと考えていた武帝の耳にも李広の名が届きます。こうして未央衛尉となって中央に召されたのでした。

 同時期に匈奴との最前線で活躍していた程不識という人物も長楽衛尉に任命されます。

 程不識と李広の行軍は対照的でした。程不識は規則を厳格に守らせ、隊列を組み、事務官には夜明けまで報告書を作成させました。兵士は休めなかったのですが、大敗したことは無かったと伝えられます。

 李広は、行軍する際に厳格な隊列は組ませず、休憩をとる時には自由にさせていました。もちろん、文書は簡略です。程不識とは全く違うスタイルですが、李広の軍も大敗したことはありませんでした。

 程不識は、「李広の軍は襲いやすいだろうが兵士が先を争って戦うから、私の軍は厳格だから、敵は襲うことができないのだろう」と評したそうです。兵士たちは李広の下に付くことを願い、匈奴は李広を恐れました。

 今回の遠征では、衛尉のまま将軍に任じられています。そして雁門から出撃したのですが、運悪く匈奴の大軍に遭遇してしまったため、李広は大敗して捕らわれてしまいました。李広は死んだふりをして見張りの油断を誘い、隙を見つけて匈奴の子供からウマと弓を奪い、追手を射殺してなんとか逃げ帰ってきたのでした。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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