2018年10月01日

春秋戦国 春申君の死1 春申君は美人に弱く、寵愛した妾の言葉だけを信じて正妻を遠ざけ嫡男を殺してしまう 李園は妹を春申君に近づける

 同年、楚で春申君黄歇が殺害されます。

 黄歇は士を愛し、彼らに贅沢をさせることを好みました。それだけなら、彼は名士としてのみ名を残したかも知れません。しかし、少々女に弱かったこと、受け入れるべき忠告を聞き入れられなかったことが死を招きました。

 まず、女に弱かった話から書いておきましょう。

 黄歇は余と言う女性を愛します。彼女は寵愛を傘に、正妻追い落としを図りました。彼女は自身の体にキズを付けて正妻が暴力を振るったと春申君に訴え出ます。そして、「殿に愛されれば正妻にはお仕えできず、正妻に愛されれば君にはお仕えできません。正妻に殺されるより、君に死を賜る方が良うございます」と泣きました。

 いつの世も女の涙に弱いのは男の常ですが、黄歇は正妻に事情を聞くこともなく正妻を遠ざけて余を近くに置きました。

 余は男児を得ると、今度は正妻の子の甲を陥れようとします。陥れる手段は同じで、自分で服を裂くと、甲に襲われたと春申君に訴えたのです。春申君は甲を殺してしまいました。

 こうして、黄歇は自らの手で有力な後継者を殺してしまいます。

 楚の考烈王には子が居なかったため、黄歇は心配して多くの女性を後宮に入れたと史記は記します。子が居なかったという記述はかなり疑わしいので、楚王が女好きだから片っ端から美女を求めていた、というくらいに理解するのが良いかも知れません。

 動機はともかく、黄歇が後宮へ女性を入れるルートを握っていたことを知った李園という人物が居ます。彼は妹を後宮に入れようと画策して黄歇に近づき、使えます。

 李園は楚王に目通りした際、わざと黄歇の元へ帰る日を遅らせます。そして、「斉王が私の妹を娶りたいと言って使者をよこしたので、祝っているうちに遅くなってしまいました」と、自分の妹は他国の王が迎えたいと思うほど美人であると仄めかします。


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2018年10月02日

春秋戦国 春申君の死2 春申君は自分の子を孕んだ李園の妹を王の後宮に入れる 朱英なる者が春申君に李園を除くことを進言する

 黄歇が女に弱いことは紹介した通りです。彼は李園に、「結婚は決まったのか」と尋ねます。質問の意図は明白ですね。空気の読めない私でもわかります。李園も自分の狙いが当たったことを悟り、「まだでございます」と答えて妹を黄歇に差し出しました。

 李園の妹は黄歇の寵愛を受け、身ごもります。妹の妊娠を知った李園は、妹と示し合わせて黄歇に以下のような陰謀を吹き込みます。

 「楚王には子が居ないため、王が死ねば彼の兄弟が立つことになる。王の弟たちは王ほど黄歇様を信任されないでしょう。失脚どころか、もっと酷い災いが降りかかることも考えられます。それよりも、私を王の側に置かせて頂きましたら、きっと王の寵愛も受けるでしょう。そこでもしお腹の子供が男の子なら、次の王はあなたの子でございますから、あなたは楚を手に入れたも同然です」

 何やら呂不韋の話とそっくりで、史実性を求めるのは無理があるような気が致します。

 黄歇はもっともであると考え、李園の妹を王に献じました。果たして、彼女は楚王に愛されて男児を生みます。

 こうなると、黄歇が邪魔になる者が現れます。他ならぬ李園です。なにせ、王が死んだ時に黄歇が生きていれば黄歇が、黄歇がいなければ新たな王の伯父である李園が権力を握るのですから。

 楚王が病に罹ると、李園は密かに刺客を養い、機会を窺いました。李園の陰謀を嗅ぎつけた朱英という人物は黄歇に面会し、黄歇の取るべき行動についてこう進言します。

朱英「世の中には思いもかけぬ幸運もあれば、災いもあります。殿は先の知れぬ主君に仕えておられますが、何かあったときのための人を抱えておかないでよいものでしょうか」

黄歇「思いもかけぬ幸運とは何か」

朱英「殿は宰相として王に仕えて20年余り、名は宰相でも実は王にも等しい状態です。しかし、王はお病気でいつお隠れになるとも定かではありません。殿は幼い王を支えられ、伊尹や周公旦のように実質は王として振る舞い、王が成人なさったら権力をお戻しになればよいのです。これが思いもかけぬ幸運です」


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2018年10月03日

春秋戦国 春申君の死3 考烈王が死ぬと、李園は即座に春申君を殺害、権力を握る 後ろ盾を失った荀子、失職する

黄歇「では、思いもかけぬ災いとは何か?」

朱英「李園でございます。彼は政治には携わっておりませんが、密かに殿をライバルと見ており、将軍でもないのに壮士を養っています。王がお隠れになれば、李園は真っ先に王宮に乗り込んで殿を亡き者にせんと図ることでありましょう。これが思いもかけぬ災いでございます」

黄歇「何かあったときのための人とは誰のことか?」

朱英「私でございます。王がお隠れになったなら、李園は必ず真っ先に王宮に乗り込みます。私がその李園を殺しましょう」

 黄歇は、しかし朱英の進言を「李園は自分と親しく、おまけに小物である」として取り上げませんでした。朱英は後難を恐れて逃亡します。

 それから僅か17日後、楚の考烈王が身罷ります。朱英の予言どおり、李園は王宮に乗り込むと、後からやってきた黄歇を暗殺してしまいました。彼の首は城門の外に投げ捨てられ、一族は皆殺しとなりました。そして、黄歇と李園の妹の子が即位します。これが楚の幽王です。

 黄歇の暗殺は、彼の登用した人々にも影響を与えずには居られませんでした。荀卿は蘭陵の令を免ぜられてしまいます。荀卿は没するまでそのまま蘭陵に住み続けたと見られます。黄歇暗殺の頃、荀卿は70歳を越えておりましたから、不思議なことではないでしょう。没年は明らかではありませんが、黄歇の死からそう離れていないと見て良いように思います。

 荀卿の著名な弟子のうち、李斯は既に秦に入って秦王政に使えているのでしたね。もう1人の弟子の韓非は故国の韓を強国に導くために帰国していました。

 ここで韓非について記しておきましょう。

 韓非は韓非子の名で知られる思想家です。他の諸子百家が「姓+子」と呼ばれるのとは異なり、彼だけ「姓+名+子」で呼ばれるのは、遥か後に韓愈(かなり未来に触れられたら幸いです)という人物が現れたため、彼と区別がつかなくなってしまったためです。


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2018年10月04日

春秋戦国 韓非子1 親子の情にすら利益を見る、冷徹なる法家の完成者韓非

 先に記した通り、彼は母の位が低いために韓王の後継者とは目されていませんでした。そこで学問を志したわけですが、自分が王になる望みは無くとも韓を強国にしたいという思いは誰にも負けませんでした。

 富国強兵を実現させるための手引き書として記された文書に、後継者たちが書き加えたものが『韓非子』となっています。

 戦国時代末期には、戦国の七雄の一角を占めていた韓は秦の侵略に圧倒され、相対的にかなりの小国となっていました。韓非が荀卿に学んだのは、韓の窮状を何とかするという明確な目的があってのことです。韓非の現実的な思想も相まって、彼の著作である『韓非子』は富国強兵を実現するための現実的な手法に満ちています。

 孟軻が人の性は善であると説き、荀卿が人の性は悪で善なのは偽であるとしたのに対し、韓非は人の性についての夢物語を語りません。

 師である荀卿が人の性は悪であると規定し、だからこそ礼を教えなければならないとしたのに対し、韓非は更に一歩進んで礼では人を治めることはできないので、法治が必要である、と断言します。

 韓非は孟軻が否定した利こそが人を動かす根源的な力であるという想定があります。

 親子の情ですら、男の子が生まれれば喜び育てるが、女の子が生まれれば殺してしまうことが多いことから、無償の愛などではなく利益を計算してのことであるというのです。

 非情に思うかもしれませんが、生命体とは遺伝子が次世代に自らのコピーを届けるための入れ物に過ぎないという考えに従うのであれば、実に現実を正しく理解していると言えるかもしれません。

 韓非の言葉には人は打算と利益のために動く、という身も蓋もない、哲学的な深みの感じられない(一方で現実味だけはひしひしと伝わってくる)断言があるばかりです。君臣関係はもちろんのこと、親子であっても同じとするところが凄みでしょうか。


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2018年10月05日

春秋戦国 韓非子2 情に期待すべきではないなら何で他人を動かすのか? 罰、というのが韓非の答え 罰は必要だが十分ではないと、私は思う

 多くの場合、子を愛するに親以上の者はいないわけですが、それでもダメな子が育つことはあります。理想の君主でも、君主が民を愛するのは親が子を愛するには及びません。親が子を教化できないことを考えれば、君主が仁で民を正しく導くことなど夢のまた夢である、とにべもないのです。

 であるからには、君主は仁愛で民を善導することを目指すべきではなく、民の利益を愛する心と刑を恐れる心を利用するべきである、というのが韓非の結論です。 部下を操縦するアメとムチ、韓非の言葉を借りれば「徳と刑」こそが君主の力を生み出すもので、この権限は決して他人に渡してはならないとされます。

 部下は己の職務にのみ努めることが求められ、越権行為は厳しく罰されます。

 韓非が理想の君主と考えた韓の昭侯についてのエピソードが『韓非子』にあります。

 昭侯が酔って寝てしまったのを見た冠係が寒くはないかと上着をかけたことがあります。目覚めた昭侯は誰がこれをやってくれたのかと問います。従者が冠係だというと、昭侯は冠係と衣装係を共に罰しました。冠係は自分の役職以外のことに手を出したため、衣装係は自分の業務を行わなかったためです。

 韓非は人が利益に釣られて動く存在であるからこそ、罪に対する罰を重くすれば罪を犯さなくなるだろうと考えました。だからこそ刑罰は必ず用いられなければならない、としています。

 名宰相と謳われる晏嬰が主君が刑罰を多用しすぎていると諌めるため、「市場では靴が安く、義足が高くなっております(刑で足を切られる者が多くて靴が売れなくなって義足が売れている、ということ)」と言い、刑罰を用いる基準が緩くなったという話があります。韓非はこれを非難して、罪を犯したのであればどれだけ多くの者が足を切られてもそれをやめるべきではない、と主張します。

 確かにこれはその通りで、殺人を犯す者が多くなったら死刑を廃止すべきである、とはならないでしょう。一方で、罰を厳しくするだけでは人々の萎縮を招くばかりです。


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