2018年05月30日

春秋戦国 公孫鞅1 魏の宰相公叔座(呉起を追い出した人)が瀕死となり、公孫鞅を勧め、昇進させないなら殺せと王に進言する

 彼らの凄まじい壮烈さを見るに、小国の君主からは大いに頼りにされたこと、疑いありません。また、墨家に学ぶには相当の覚悟が必要だったことも間違いないことでした。

 楚が強国になるための道を自ら蜂起したため、この時点ではまだ魏が強国でした。魏が最強の地位から転落する流れを知るには、1人の改革者の活躍と死および2人の兄弟弟子のストーリーを追いかけなければなりません。

 前者は商鞅の、後者は龐涓と孫臏の物語です。

 呉起を魏から追い出した公叔座が前360年に亡くなります。呉起が死んだのが前381年ですから、随分と長い間権力を握っていたのですね。

 病床を見舞った魏の恵王は、公叔座の次の宰相には誰が良いかと尋ねます。公叔座は、彼の部下で、家臣を束ねる仕事を与えられていた公孫鞅という人物を、天下の奇才であるとして推しました。

 公孫鞅は衛王家の分家という出自を持ちますので、衛鞅と呼ばれることもあります。法家の学問を学んで公叔座に仕えていました。食客という身分で、有力者に仕えて能力を発揮し、公職に推薦してもらうことを狙っていたわけですが、まだ日が浅かったために推薦の機会を与えられていませんでした。こうした状況だったので、恵王は公孫鞅の名前すら知りませんでした。

 恵王の雰囲気から公孫鞅を後継者にするつもりなど無いことを感じ取った公叔座は、「もし彼を宰相にしないのなら、これを殺してください」とまで言って、何とか彼を後継者にさせようとします。

 公叔座は恵王が去ると公孫鞅を呼び、「王が宰相の後継者を尋ねられたので、私はそなたを推しておいた。だが、王のご様子を窺うに、そなたが用いられることは無いであろう。私は臣下としての立場から、そなたを用いないなら殺すべきだと進言した。そなたは急いで立ち去るが良い」と告げました。

 しかし、公孫鞅は「貴方の言葉に従って私を宰相にしようとはしない王が、どうして貴方の言葉に従って私を殺そうとするものでしょうか」と言って、去らずに残りました。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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